ノモンハンの夏　　　半藤一利　　　　　　　　　文芸春秋　　　　　　　　

昭和１４年の夏、満州と蒙古の国境付近であるノモンハンにおいて、関東軍とソ連軍が国境紛争を契機として交戦した。日本軍の死傷者は１万８０００人にも及び、全滅の損耗を被った連隊も多かった。結果的に何ら得るものも無き戦いであり、無謀な関東軍の冒険主義が招いた愚行であった。これがノモンハン事件といわれるものである。何故このような愚行に突入してしまったのかという経緯、及びその戦闘の稚拙きわまる作戦を丁寧に追ったのが本書である。遠くさかのぼれば、日露戦争に勝利したことが、この愚行の淵源にある。実は勝利とも言えない程の薄氷の勝ちであった日露戦争なのだが有頂天になった日本軍にはロシアに対する大いなる慢心が芽生えた。それがいつしか国境の小競り合い等では、関東軍が一撃を加えれば、敵は直ぐに退散すると言う、全く根拠のない楽観論につながった。当時の陸軍は日独伊三国同盟の締結に狂奔していたが、そのドイツのヒットラーはスターリンの独ソ不可侵条約の締結という離れ業を画策していたことに、全く思いも至らないという、国際感覚の無さがあった。西方でのドイツの脅威がないソ連にとって、この東方のノモンハンに強大な兵力、物量を投入できる立場にあったことを、日本は全く知らなかったし、知ろうともしなかった。それよりも、何よりもこの事件で際だつのはエリートの暴走と言うことであろう。当時の三宅坂の陸軍参謀本部の作戦課と、関東軍の参謀本部はともに、陸士、陸大の超エリートが占めていた。現在の大蔵官僚同様に、机上の勉強ばかりにたけた純粋培養されたこれらのエリートと言われる人間とその人間がつくる組織が、如何に現実と遊離した、唯我独尊の決定をおこなってしまうのかの典型がここに表れている。又、この関東軍横暴の元凶であった、服部・辻の参謀達のこの事件での責任を、うやむやに処理してしまったことが、後に彼らを陸軍参謀本部へ復帰させ、太平洋戦争へと日本をかりたてることになったのだが、このことも金融関連のバブル処理において、大蔵の責任を曖昧にしたが為に、今の日本の経済苦境があることと照らし合わせて考えると実に興味深い。成功による慢心、根拠のない楽観論と、力に裏付けされない精神論、エリートの暴走と、それを許してしまう世論とマスコミ、責任の所在をうやみやにしてしまう体質等々、残念ながら、日本という国のシステムは常に「歴史から何も学ばない」ことの繰り返しがビルト・インされているような気がする。

　（９8年４月発行）