箱の夫吉田知子中央公論社

今まで寡聞にしてこの作家の名前を知らなかったが、1934年生まれとのことなので既に60歳を超えられた女流作家ということのようだ。本書は表題作を含む８つの短編からなっており、どれもこの10年以内に書かれたものだが、全編若い感性に溢れた作品であり、とてもこの作家の歳を想像できない。初出が「文学界」などの純文学誌がほとんどあることで分かる通りそれぞれの作品は、現代日本文学の短編小説界の現状を良く表していると思うし、その質は高い。すべての作品が、現実と虚構の境の中をさまよう形で話が進む。その中に、作家の文学的心象が描き出されて行く。しかし、心象風景とはいっても、決してアブストラクトではなく、夢の中で見る風景のように具象的なのだが、捉えどころがないものだ。「箱の夫」は夫と姑と暮らす妻の一人称で書かれている。夫は蜂蜜の四号瓶の入っていた箱に入るほど小さい。夫は外出をしたことがなく、家でコンピューターを使って仕事をしている。あるとき、妻は夫をその蜂蜜の箱に入れて外出し、箱を落してしまう。夫は意識不明となり救急車で病院へ連れて行かれる。夫はどんどんと幼児化してしまい姑がミルクを与え、おしめをあてがって甲斐甲斐しく世話を見始める。妻は愛する夫をどうしても姑から取り戻したくなる。と言った誠に不思議な話だが、なんだか夫婦だとか嫁姑の関係が凝縮されて物語化されているような錯覚にとらわれてしまう。全八編ともに妙に頭に残る話であって、久々に日本の純文学界の明るい面を見たような気がした。

（発行９8年12月）