ケインズの哲学伊藤邦武岩波書店

ケインズ経済学は数理的論理構成を基本としていることは良く知られている。それは彼の「確率論」を基礎として「一般理論」に至る学究の軌跡からも十分推察することが出来る。しかし、この｢一般理論｣の根本をなす思想には｢ハベーイロードの原則｣の様に、「人間性善説」といった非数理的な概念があり、更に、経済理論を語るその原点にケインズは人間の「徳」（バーチュー）があることを付け加えるならば、ケインズ経済学が、実はケインズが若い時代に専門としていた当時のケンブリッジにおけるモラルサイエンスとしての哲学の上に成り立っており、純数理学的理論のみではないことにも納得がいこう。

本書は、ケインズ経済学の背景にある、ケインズの哲学的思考を、1930年代のケンブリッジの熱気をもった哲学的雰囲気にさかのぼって解き明かそうとする意欲的な著作である。

ケインズの哲学はその当時の、ムーア、ラッセルによる哲学の刷新と論理学革命の熱気の中で育まれ、ウィットゲンシュタイン、ラムジーとの共鳴、相互批判を得て成立したものだという。その、哲学思考は「不確実性」に対する思索であり、現在でも｢複雑系｣で語られ、あるいは、ソロスのいう「Reflexability」（相互補完性）とも共通する、永遠に解決し得ないエントロピーの増大にかかわるものであった。そう考えてみると、ケインズ経済学がその時々の状況によって、時には正反対の解釈を行って来たことも理解出来る。（何しろ、全ての事象は不確実性をもっているのだから）

マルクス主義経済学も哲学の上に成り立っていたし、経済事象を捉えようとすることの根本には、その営みを行う人間についての考察、即ち哲学があるのは不思議ではなく、ケインズ経済学も又、哲学の上に成り立っているのは、驚くことではないかもしれない。但し、共に経済学としては、最早正しくない理論となってしまったことは、偶然の一致なのだろうか。

（99年6月発行)