氷川清話　　　　　　　　勝海舟（勝部真長編）　　角川文庫

大政奉還にともなう、江戸城の無血開城という偉業が成ったのは、西郷隆盛と勝海舟という二人の英傑を得たことに負うところは多い。維新の時期には、降る星のごとく多くの人物が輩出したのだが、この二人はその中でも飛び切りの人物ということが出来る。

勝海舟は、敗軍である幕府の側の人間であったのだが、維新に於ける勲功は一級のものであると評価され、維新後も重鎮として尊敬を集めた。「参議」という身分を得たものの、官位には無欲であり維新後は、閥をつくったりすることもなく天下のご意見番的存在の、悠々自適の生活を送った。

その勝海舟が維新後30年以上たった時期に、赤坂氷川町の自宅に、その人となりを慕って集まる人びとを前に、語った言葉を集めたものが、本書｢氷川清話｣である。

海舟は、貧乏旗本の息子として生まれ、極貧の中で育つという経験を積んでいる。後に幕府の要職についたとはいえ、その育ちから、終生、飾らない市井の江戸っ子の洒脱さを持ち続けた人物であり、そのくだけた語り口そのものが、海舟の人柄を表している。

「自己の経験について」の章では、その生い立ち、「咸臨丸」での渡米や、維新の様々な出来事の想い出を語っている。歴史小説で読んだ様々な事件を、その当事者が語っているのだから、大変な面白さだ。

続く「古今の人物について」では、西郷隆盛の人物が如何に大きかったかというように、海舟自身が直接、接した多くの維新の登場人物のみではなく、宮本武蔵や、芭蕉といった具合に、歴史上の人物に対しても、忌憚のない人物評を与えている。これまた、実に生々しく面白い。

このような調子で、「日本の政治について」「日本の財政について」｢日本の外交について｣｢理屈と体験について｣「精神上の一大作用について」「わが文芸評論」「歴史と人生について」の各章に分かれ興味の尽きない談論が記されている。

当時の政治や財政、外交に対する海舟の評論は、そのまま現代の政治、財政、外交に対する批判としても、そのまま通用する程の慧眼であることにも、驚かされる。

100年前の赤坂氷川町で、一度で良いから海舟のこの手の話しを聞いてみたかった。

（72年4月初版）