睡蓮の長いまどろみ（上・下）　　　宮本輝　　　　　文芸春秋　　　

この小説のモチーフは多く、それらが複雑に絡み合っており、登場人物の幻像、倒錯心理なども相まって、ミステリー性を醸し出す不思議な物語となっている。

しかし主要なモチーフは「因果倶時」という仏教用語である。蓮の花は咲いたときに既に実ができているという。すなわち「原因が生じた瞬間に結果もそこに生じている」という「因果倶時」を核に物語は展開していく。

蓮の実は2万年の眠りの後でも環境をあたえられれば花をつけるという。人の人生もこの蓮の実、蓮の花の「因果倶時」に例えれば、生まれる前から全てさだまっているという運命論にもなるだろうか。

しかし、一方では、人それぞれの人生には、500人のあるいは3000人の自分の人生という多くの可能性があるということも言えるだろう。

原因が先なのか、結果が先なのかは寧ろ混沌としているといえるとこの小説は語っている。

幼いときに、乳飲み子の自分を捨てて家を出た母に、息子であると告白できないままイタリアのアッシジで再会する主人公、世良順哉は、帰国後、喫茶店のウエイトレスが、何の前触れもないままビルから自殺をしてしまう現場に居合わせる。

その、死んだはずの少女から届いた2通の手紙には謎めいたことばが書いてある。

母が家を出た本当の理由には、大きな秘密が隠されており、この秘密と少女からの手紙の謎とが絡み合っていく。

世良順哉の同僚で、ナイフ作りにのめり込んで行く男。順哉の元上司で、唐突に家族を捨て、会社を辞め、部下の未亡人と一緒になり、焼鳥屋になってしまった男等々、登場人物は複雑に絡み合うが、そこには「因果倶時」のテーマが流れている。

物語の舞台は、イタリアから北海道、九州の大分などと多彩であり、映画化を意識したかのような展開になっており、順哉の育ての母、登紀子の死というエピソードを中心とした、愛憎物語とともに徐々に、この物語に与えられた謎解きが進んでいく等、この作家の物語作りの巧みさは大したものだ。

（00年10月発行）