センセイの鞄　　　　　川上弘美　　　　平凡社　　　　　　　　

即物的な面を含みながらも恋愛とは本来は美しいものだ。しかし現実の恋愛を美しく小説に書くというのは難しい。

恋愛の即物的な面を書きつつ、絵空事ではないほどのメルヘンをかもしだせるかは、まさに作家の技量にかかっている。

この小説に描かれた二人の恋愛は紛れもなく純愛だ。その二人とは38才の独身OLツキコさんと、その高校時代の古文の教師であった70代のセンセイである。この物語は、センセイが亡くなるまでのわずか5年間の狂おしいほどの恋の物語だ。

二人は偶然に居酒屋で再会し、友人とも師弟ともいえない関係から、徐々にお互いの恋情を育んでいく。

ツキコさんは同世代の男性には物足りなさと恐れをもってしまうが、親子ほどに歳の離れたセンセイには心地良さを感じはじめる。

センセイはいつも、小さな黒い鞄持ち背筋をぴんと伸ばし、丁寧な言葉遣いの人だ。何年か前に奥さんに出奔され今は一人暮しをしている。

この二人が巡り合って、それから二年間どのように二人の恋心が育っていったのかが、四季折々の移り変りとともに語られていく。

忘れようとして忘れられない、諦めようとして諦められない、高校生のような恋心がツキコさんの追想としてかたられる。

ツキコさんに対する思いの一方で、自らの老いという現実に悩むセンセイ。自分が死んだあとのことを思うとセンセイはツキコさんに愛を告白できない。その切なさは、妙に共感を覚える。

自分を捨てて出奔し何人目かの男と暮していた島で事故死した妻に対するセンセイの回想と、そのセンセイを見るツキコさんと、実にこまやかな心象風景がかたられる。

恋とはこれほどに美しく、哀しいものなのかと読後もしばし青年に戻ったような感動をおぼえた。川上弘美の才能の奥深さに感心した。久しぶりに良い小説を読んだ。

（01年6月発行）