イスラームの日常世界 片倉もとこ 岩波新書
現代社会において近代化とは、「政教分離」「西洋化」「工業化」等の要素が必須であると考えられているが、その点からみると、イスラーム世界は近代化にはちょっとそぐわない世界といえるかもしれない。本書を読んでそんな感想をもった。
イスラームの教えの基本であるコーランの説くのは「イスラム教教義」というよりは生活全般の規範である。政治という人間社会の営みそのものを、宗教と分離してしまうことは、コーランの教えと矛盾する。又、人々の生活そのものに対する細かい規定がコーランに定められており、その規定を守ることが「イスラーム」であるとなれば、宗教と日常生活は渾然一体となったており、これを分離することができないのだ。
このように、イスラームの価値観は、西洋の価値観と根本的に異なる。従って、西洋の価値観で、イスラーム世界を計ること、又、その逆も全く無意味とさえいえるのだ。
イスラームの人々にとって「ラーハ」といわれる安息こそが人生におけるもっとも大切な時間であるという。これをイスラーム以外の世界からみれば、イスラームは休んでぼんやりばかりしているととるかもしれない。
イスラーム世界が西洋的価値観を是とする近代化において様々な障壁に突き当たる一例であろう。
更には、神の前では人間も自然の事物もすべて対等であると考えるイスラームの自然観は、自然の破壊を伴う工業化とは相反するものだ。
このような、西洋文化との違いをもって「だからイスラームは遅れている」とか「イスラームは駄目だ」と考えがちなのは、何しろ我々がイスラーム世界から余りにも疎遠だからだ。
しかし、「ゆとりとやすらぎ」こそ人生のもっとも大切なものであるとする考え方は実に豊かな精神生活でもある。その目的のために日常生活のモラルや習慣が形作られているのだから、イスラームの人々は実にゆったりと豊かに生きているということではないだろうか。
又、神の前ではすべての人間が平等であるという思想は、イスラーム社会の豊かな相互扶助、民主主義的な考え方を形作っている。
本書では、コーランが求める「五行」すなわち、「信仰告白」「祈り」「喜捨」「断食」「巡礼」が、イスラーム社会の日常生活で人々にどのように捉えられ、それがいかにイスラームの豊かさを生んでいるかが、著者の実体験から説き起こされており、我々に馴染みの薄いイスラームのよき解説書となっている。
イスラーム原理主義の台頭イコール、テロとの考え方になりがちであるが、本書を読んで、かなりの度合いイスラーム流の価値観を理解することができる。
（91年1月発行）