料理人 ハリー・クレッシング 早川書房
著者ハリー・クレッシングは '65年書かれたこの一冊の他に作品も知られていないし、彼については何も分かっていないという謎の作家である。
この物語も何とも風変わりで、奇妙な物語である。いや、物語になっているのかでさえ一寸疑わしい。
料理人が主人公という設定も不思議だ。この料理人、何処からとも無く自転車に乗ってやってきて、この町の半分を支配するヒル家のお屋敷に料理人としてやとわれる。スーパーマン的な男でありその我の強さは並大抵のものではない。ヒル家の人々はこの料理人に知らず知らずに篭絡されていく。その魔法的ともいえる料理の腕はすばらしく、超肥満のその家の娘は料理をいくら食べても、どんどんやせていくし、やせていたものはどんどん太りはじめるし。
舞台となっている小さな田舎町は、イギリスのどこからしいのだが、幻想的に描かれた町である。
ヒル家と長くいがみ合っているヴィエル家とが、この主人公の料理によって和解をし、その町に古くからある壮大な古城に住むことになって、――――と、物語なのか幻想なのか区別のつかない展開となっていく。
「千と千尋の神隠し」でも、食べつづけてブタになってしまう千尋の両親というエピソードがあったけれど、本質的に現代人が持っている肥満への恐怖、それでいながら、食べることへの飽きることのない貪欲さといったテーマを扱っているらしいのだが。
物語らしからぬ結末といい、謎の作者といい、読者に十分不気味さを与えるミステリーということなのだろうか。
（72年2月発行）