医者が末期がん患者になってわかったこと 岩田隆信 角川文庫
昭和22年生まれというから正に自分と同年の著者は、脳外科医、昭和大学医学部助教授として活躍中の49歳の時に、何とも皮肉なことに、自らの専門分野である悪性脳腫瘍を発病した。
40歳で結婚し一人娘が小学校入学の直前という家庭的にも恵まれた時期の青天の霹靂であった。仕事の上でも、このまま順調に業績を積み重ねていけば、年来の目標であった勤務先昭和大学医学部の教授への道も約束されている矢先でもあった。
専門分野の医師としての経験と知識から、彼は自身の病は5年生存率が1％に満たない悪性グリコーマであることを理解してしまう。
本書は、医師の最後の仕事として、末期がん患者の側からこの病を見た医学的記録であると同時に、病におかされた者の生、そして家族への心情、そして患者となって気付いたさまざまな医療制度についての提言などを、ベッドにあってまとめたものだ。
助からないと分かった病といかに闘おうとしたか、そして闘ったのか。著者を取り巻く、妻や娘をはじめとする親族、友人、同僚達への思いが、実に赤裸々に書かれている。
発病時、ひどい頭痛が起きた時にこれはただならぬことだと思いつつも、その恐怖から逃れるかのように多忙なスケジュールをこなし検査を受けようとしなかったこと。脳腫瘍と診断されても、その病名が知れることで自分の夢である教授への道が閉ざされるのではないかと同僚には病名は隠そうとしたこと。残り少ない自分の命と、遺していく愛娘と妻への思いと悲しみ等、亥年生まれ49歳の男の心情は、医者であっても、会社員であっても全く同じだろうと思えてくる。
更には、自らの生い立ち、両親のこと、そして愛する妻との出会い、結婚、愛娘の誕生、家庭を妻にまかせ仕事に没頭した日々、典型的な亥年生まれの男の平凡だが貴重な人生が描かれている。死に対する恐怖、諦め、家族への思い、人生観など共感する部分は実に多い。
著者は、1月に発病し、4月、7月、10月に三回の手術を受けた。医師としては思い及ばなかった患者としての手術に対する恐怖感なども実に率直に書かれており、その意味では迫真のドキュメンタリーでもある。
1回目、2回目ともに手術は成功し腫瘍は取り除かれる。そして、つかの間の安堵の期間があるものの、瞬く間に再発が彼を襲い、また、次の命がけの手術への決断を余儀なくされる。体力も気力もそして知力さえもが徐々におとろえていくのだが、著者はその残された極めて限られた時間にその日々を克明に日記として書き残した。
3回目の手術直前まで書かれたこの記録はその部分で終わっている。翌年、著者はその闘病もかなわず亡くなったという。
同年代の者の闘病と死の記録には読後、何とも震えが出るような思いがあった。
（99年6月発行）