溺レる　　　　　川上弘美　　　　　　　　文春文庫　　　　　　　

独特の文体で、独自でしかも独創的な創作の世界を創る。川上弘美はそういう稀有な作家だ。そのスタイルはデビュー作から変わらないのだが、いつまでたっても飽きがこないのは、そのスタイル自身が確固としたものであって、内容のバリエーションをかえさえすればいくらでも人をひきつける魔力を持っているからだろう。

本書に納められた8篇も、まさにそういった川上ワールドの短編である。

その文章は、ところどころにちょっと古風な言いまわしを使うこと、登場人物名がカタカナ名前であること、とぼけた風の会話体が有効に使われていることなどの細かな川上文体が、滑稽味やペーソスを滲み出すという手法も読んでいて心地よい。

表題作もモウリさんという中年男と何かからの逃避行を続けるコマキさんの話だが、二人して「リフジンなもの」から「チクデン」していると言った言い方とか、あるいはモウリさんが「アイヨクに溺れましょう」とコマキさんを誘うといった描写そのものが、もう川上弘美の世界なのだ。

４０代男女の不倫心中のはずが、女性だけが死に、男は生き残り妻子のもとへもどって87歳で天寿をまっとうする。死んだ女の霊がその情死行の相手であるサカキさんの死後もずっと冥界ともどこともつかぬところで、迷いつつ一人がたりをする「百年」という作品も良い。

姦通を行なった男女が人々の悋気の呪いから死ぬことをゆるされず、五百年も連れ添い生きているという「無明」といった短編にある、どろどろとした男女の愛憎に漂う悲しさなども、この作家の描く独特の幻想世界だが実に面白い。

まあ、当分川上弘美中毒状態は治りそうもない。

（02年9月発行）