海辺のカフカ（上・下） 村上春樹 新潮社
作者はおそらく例えば安倍公房の「砂の女」「燃えつきた地図」などの非現実だが純粋化された心象的世界を描こうとしたのだろう。この小説の出だしから、なんだか安倍公房の小説のパクリっぽさを感じて、ちょっと嫌な気分だったが、上下二巻延々と続く物語は、安倍公房のパロディーにもなっていないし、途中何度か、投げ出しそうになりつつも、いやいや読みつづけ、漸くたどり着いた最後には、不快な疲労感だけが残った。この小説には毀誉褒貶が激しいとは聞いてはいたが、ほめる人がいるということが、どうにも理解できない。
抽象絵画は、写実性や具象性といった分かり易さの手だすけなしで、ストレートにその画家の心象を見る側に伝えようとするものだ。安倍公房の世界とはいわないが、心象的風景をモチーフにして、非現実な文学的創作世界を作ろうとする作家も、絵画でいうならば抽象画の世界を狙っているつもりの、いわゆる「純文学」といわれる世界も、その作家のイメージの世界、観念の世界を、何らかの形で受け手「読み手」の側に伝えようというものでなければ、作家の一人よがりのマスターベーションに過ぎないのだが、この小説には、読者に何かを伝えようとする意思が感じられない。
勿論、読者に理解されることを目的としていない、自分のマスターベーションで良いと開き直る｢孤高」の作家も多いだろうが、村上春樹の過去の作品や、マスコミへの露出度、あるいはこの物語の製作意図を語っているパフォーマンスからすれば、彼がこの手の孤高の作家とはとても思えない。要するに、自分のマスターベーションを見て、感激する奴は感激しろといった、投げやりな作品としか捉えられない。
「難解」であることは悪ではないが、この小説のように、何かを伝えようとする意思が無い唯我独尊の結果、何を言いたいのかさっぱり理解できないという「結果的な難解さ」は、堕落ではないだろうか。
「海辺のカフカ」という題名でさえ、登場人物の名前が「田村カフカ」であるというオチが全くいただけない。もちろん、カフカの「変身」などのモチーフがこの小説にもパロディー化されてあり、人間の肉体と心理のそれぞれの「存在」とは何かといった観念がかたられるのだが、そんな点もなんとも「こけおどし」的で、カフカの愛読者にとっては、噴飯物ともおもえるものだ。チェコ語でカラスのことをカフカというというネタばらしがあって、「カラスという名の少年」が登場するという二重の楽屋落ちもなんともウケ狙い的で、いただけない。
この手の小説が、現時点での日本文学界の第一線であり、ベストセラーだというのだから、なんとも暗い気持ちになる。
(02年9月発行)