アルジャーノンに花束を ダニエル・キース 早川書房
アルツハイマーという病におかされ始めた人はその初期にどのような恐怖を味わうのだろうか。今こうしてある自分が、時間とともに知能が退化して自分でなくなってしまうという事実を知った時の恐怖はどのようなものなのだろうか。
知能を失っていくということは、自分が自分でなくなるということなのだろうか。また、自分が自分でなくなるということは肉体的な死の恐怖とどのように違うのだろうか。
最近テレビドラマ化されて人気を呼んでいるこの物語は、ダニエル・キースが59年に書いたSFだが、人間であることと「知能」とは一体どのような関連があるのかという実に重いテーマを掲げた傑作といわれているものだ。
チャーリーは32歳。彼が障害児であるという葛藤の中で、両親は離婚しチャーリーは家族と引き離されてパン屋の下働きをもう17年も続けている。パン屋の雇い主も仲間も温かいのだが、チャーリーは自分が利口になれたらと思っている。そんな彼に、頭を良くしてくれる手術の被験者にならないかとの誘いがある。チャーリーはその手術を喜んで受ける。手術は成功しIQ65であった彼のIQは185にまで急激に伸びる。知能の発達とともに芽生えた新しい世界は、チャーリーを嘗てのチャーリーとは別人格の人間にしていく。知能の発達に感情や心理の発達は追いつかなという苦しみに戸惑うチャーリー自身の一人称で語られていく。
人は知能が低ければ人ではないのか。知能が発達するということは果たして人を幸せにすることなのだろうか。このテーマも重い。
物語の後半、急激に発達した知能はまた急激に退化していく。知能の高かった時代にチャーリーが恋した女性への感情も、又、いずれかへ消えて行こうとする。
まさに、自分がアルツハイマーにおかされつつあると知った人の恐怖に似たものが彼を襲うのだ。
昔「ジョニーは戦場へ行った」では戦争で全ての機能を失った男が病院のベットの上でただ思考だけをめぐらせると何とも悲惨なテーマを扱っていたが、肉体と精神の遊離というテーマのやり切れなさに共通するものを感じた。
（99年10月発行）