本所しぐれ町物語 藤沢周平 新潮文庫
本所しぐれ町とはいかにも実在の地名のようではあるが、これは藤沢周平が時代小説のために作った創作上の江戸の町である。
その町は藤沢周平が丹精こめて作ったジオラマのように実に精巧に出来ており、本当に息づいている。そのジオラマの町並みに彼は、創作上の人物模様を配置した。藤沢周平の作った町並みとそこに住む人々、すなわちこの物語の江戸下町の情緒や、登場する人々が織りなす人間模様からは、実在以上にリアルな息づかいが聞こえてくる。
全体は12編の短編からなっているが、その短編それぞれが関連性をもつ一つの物語になっている。ある物語の続きが次の物語となり、ある物語の主役が次の物語の脇役となったり、あるいは、舞台回しの役割を担う大家の清兵衛、詰所の書役、万平老人や猫の配置も見事だ。
逃げた女房の実家に戻ってくれと頭を下げにいくが、けんもほろろに断られた帰り道に、人のお妾さんに会ってひょんなことからのめり込んでしまう若旦那は、女房が家に戻り、町の噂になって何度も反省するのだが、又、ふらふらとその他人のお妾さんとの火遊びに戻ってしまう。この若旦那のようなダメだけれど、なんとも身につまされるような弱いところをもった人たちを藤沢周平は愛していたことがよく分かる
母が死んでからというもの酒浸りであった父が借金と弟妹を残して死んでしまった。10歳になるおきちは、わが身を女衒に売り、父の借金の肩代わりをする。ありふれた人情物の筋書きのようだが、飲んだくれの父親や、町内の女たちといった脇役の描き方が深く、主人公おきちの健気な哀愁が漂っている。
（89年9月発行）