父の詫び状 向田邦子 文春文庫
どういう訳か、向田邦子を読んだことがなかった。この向田邦子の第一エッセー集が始めて手にした彼女の作品なのだが、衝撃を受けた。
なんとも驚くほどにエッセーとして完成している。気取ったり、飾ったり、あるいは妙に自分を卑下してみたりということの多い男性作家のエッセーに比べて、等身大の向田邦子が、そして彼女の世界が描かれている。ユーモアにまた、ペーソスに満ちているが、決して作為的には思えない自然体の文章と、作者の生き方に憧れてしまう。
昭和4年生まれの彼女は、給仕から身を起こし保険会社の支店長になった父の地方転勤にしたがって、小学校を4度も転校した。その父は、家庭では暴君とも言えるほどに威張り散らしていながら、娘が病気にでもなればおろおろとして為す術もなくなってしまう実は優しい人なのだ。
幼いころの家族の話、そして、独身のままに40歳になって忙しく放送作家の生活を送る現在の自分といった題材を核に、このエッセーは書き進められている。一見すれば、決して平凡ではない彼女の経歴や、個性的な家族が題材であるにもかかわらず、読み手は、ほとんどが「そうそう、こういうこともあった」「そうそう、これってよくわかるな〜」といった具合に共感を覚えてしまうのは何故だろうか。
一つの話題が、ごく自然な形で次の話題へと移っていくのは、枕草子のようなというべきか、はたまた、落語のまくらを聞くようだというべきだろうか。
遠足の日の朝にお弁当用にせっせとのり巻きを作る母のそばで、のり巻きのはしをもらおうと待ち構えていた子供たちの情景は、ある意味では、向田邦子以降の世代の幼いころの原風景ではないかとさえ思える。
山本夏彦が本作品を読んで「突然あらわれて、ほとんど名人である」と絶賛したというが、大いに頷ける。
（81年12月発行）