隣の女 向田邦子 文春文庫
どちらかと言えば現実味の乏しい絵空事的なテレビドラマの世界に、日常感覚というか、誰もがふっと、「こんな経験をしたことがある」あるいは、「確かに、こういうことはあり得る」と思えるような題材を持ち込んだのが向田邦子であった。
今から、20年ほど前のテレビドラマ界にとってのエポックメイキングな出来事であったといえよう。
その向田邦子が亡くなって既に20年が過ぎるが、再び、テレビドラマに現実感が薄らいできた反動なのか、このところ、再び向田邦子の作品がテレビ、舞台で頻繁に取り上げられている。今回は、彼女が舞台としてよく描いた昭和30年あるいは40年代に対するノスタルジー感もあいまってか、人気を呼んでいるようだ。
本書にも、まさに、上記のような向田邦子の世界を代表する短編は5編が収録されている。
それほどの不満もない平凡な日常を送っている主婦がめぐり合った恋。不満がある訳でもない夫を残して、彼女は衝動的にその恋人を追ってニューヨークへ行く。思い出してみると、このドラマが最初に放映された当時、社会現象ともいえるほどの評判になった。現代版の西鶴道行とも言われたようだが、このドラマの圧巻は、その恋人と別れ帰宅した彼女と、それを黙って迎え入れる夫との、なんとも物悲しくも美しい心理描写にある。こういう実際は有りそうでない非日常を日常的なドラマに仕立て上げる向田邦子の上手さには感心させられる。
彼女の絶筆となった「春が来た」も良い。庶民的を絵に描いたような家庭とともに暮らすOLの直子の同級生は次々に結婚していく。やっと訪れた恋人候補が、直子の家に毎週来るようになって、無口で無気力だった父はしゃべるようになり気力も出てきたようだし、母も妹もおしゃれになり明るくなっていく。まさに、春が来たかのようなのだが、直子にとっては、彼が自分に会いにきているのか、家族に会いにきているのか分からないという不満が嵩じて行く。この話の物悲しい結末も、まさに、「あり得るな」と思わせるもので、思わず読み返してしまった。
彼女が今も生きていたら、日本のドラマも随分違ったものになっていたのではないだろうか。
（84年1月発行）