ノラや 内田百閒 中公文庫
名随筆家としての百閒の作品中でも晩年に書かれたこの「ノラや」の評価は高い。しかし、高校生の時代にこれを読んで、何でこの作品の評価が高いのかさっぱり分からなかったし、寧ろ、つまらない老人の繰言のように思ったものだ。数十年振りに読んでみて、今度は、何故高校時代にこの作品をつまらないと思ったのかが、不思議に思えるほど、その見事な筆致に感心してしまった。
読書は、その人の置かれた環境や、年齢によってこれほど違って読まれるのかと改めて思った。（「我輩は猫である」にしても、読むたびごとにその印象が違ってくるのと同じことだろう）
「ノラや」は百閒が70歳の時に、飼い始めたノラ猫をいとおしむ幾つかの随筆からなっている。「百閒じいさん」の目からみた観察記から始まり、やがて失踪してしまったノラを心配して、夜も日も無く泣きくれる日々、そして、やがて迷いこんできた猫、「クルツ」との日々、さらにはクルツの死、といった百閒没年までの14年間に書かれた猫に関する思い出の記22編という訳だ。
借金だらけの生活をしていた、それでいて浪費癖がとまらなかった、ちょっと偏屈なじいさんだった、等々のエピソードで語られる百閒だけれども、子猫がいなくなったと言って、夜も眠れず、何年経ってもその猫のことを思うと涙が止まらなくなるという、実にナイーブな人であったこということに、高校時代には感じなかった、共感といえるようなものを覚える年代になってきたということだろうか。
（80年3月発行）