トム・ゴードンに恋した少女　　　スティーブン・キング　   　新潮社　　

ベストセラー作家、スティーブン・キングの作品ジャンルは多岐に亘っているが、やはりホラー小説の大家としてもっとも知られているのではないだろうか。

彼の作品はアメリカのペーパーバックノベルの王道をいくかのようにエンターテイメント性は抜群で、その作品の多くは映画化されている。

本書は、ニューホラーといわれるジャンル分けがされているキングのもっとも得意とする種類の作品だ。

リアルな社会に常に潜在している恐怖を描きながら、SFチックな怪奇小説的な恐怖感を漂わせた作品で、確かにページをめくるのももどかしく感じさせるほどのエンターテイメント性に富んでいる作品だ。

主人公のトリシアは間もなく10歳になろうかという少女だ。彼女は離婚したばかりの母親と兄の三人でハイキングに出た。トリシアも兄も別れた父を恋しく思っており、兄はその件でなにかと母親と口争いになっている。

その日も三人で山道を歩く間、母と兄の二人は果てしない言い争いになっていた。二人の言い争いに辟易としながら、一人で後を歩いていたトリシアだったが、おしっこをしたくなり道をはずれて草むらに入った。道からの距離が気になった少女は、少し奥へ進みすぎ用を足したのだが、そこで方向を見失い山道に戻ることができなくなってしまった。

結局、トリシアは数日間森の中をさ迷い、次々と襲い掛かる困難にめげそうになりながらも歩き続けるのだが、この物語は、トリシアのその森をさ迷った日々を追うかたちで進む。

州をまたがる広大な森の中にわずか9歳の女の子が一人迷い込んでしまったという状況を想像するだけでも、この小説が持つ底知れない恐怖感というものが感じられるではないか。

トリシアにとっての救いは、たまたま持っていたウォークマンからかすかに聞こえるレッドソックスの試合、中でも大ファンでもあるリリーフピッチャー、トム・ゴードンの活躍を聞くことだ。

曜日の感覚を失い益々森の奥深くに入っていってしまうトリシア、食糧や水を失い死を覚悟し、あるいは漸く得た水を飲んで猛烈な腹痛に襲われ、夜には暗闇の中に幻影を見るトリシアだが、彼女は語りかけてくるトム・ゴードンの幻影との会話によってどうにか気力を保つのだった。

9歳の少女の行動としては信じられないほどの距離を彼女は森の中で歩き続けるのだが、キングはその彼女の彷徨の旅のそのディテールを丁寧に描くことによってじわじわと恐怖を盛り上げていく。

そしていよいよ彼女の命がつきかけた時に、再び大きなピンチが訪れる。それはまさに、トム・ゴードンが9回二死満塁、ツースリーの場面を迎えたようなものであった。

トリシアの行動と、レッドソックスの試合がパラレル的に展開する迫力には息を飲む思いがする。確かに、全米有数のベストセラー作家だけのことはある。