ザ・コールデスト・ウインター---朝鮮戦争（上下）     D・ハルバースタム        　文芸春秋　　　　　

ハルバースタムは現代アメリカ有数のジャーナリストといってよいだろう。そのハルバースタムの最新作、そして彼の遺作となってしまったのがこの上下二巻の大作である。

彼の代表作である「ベスト＆ブライテスト」は、ケネディー、ジョンソン政権下でもっとも聡明な人間の集団であったはずの政府中枢の指導者達が、なぜ米国史上最悪の戦争といわれたあのベトナム戦争に米国民をひきずりこんでしまったのかを描いたものだったが、本書も又あの「ベスト＆ブライテスト」同様、米国政府中枢と軍部の主要人物たちの考えられないほど愚かな判断ミスの積み重ねが、あの朝鮮戦争というアメリカ人が今や思い出したくもないというほど悲惨な戦争を招いてしまった経緯を鋭く抉った力作だ。

「ベスト＆ブライテスト」や本書によってハルバースタムが描こうとしているのは、アメリカは第二次大戦、朝鮮戦争、そしてベトナム戦争といった戦争における過ちの数々から得られたであろう教訓から何も学んでおらず、再びイラクそしてアフガンの泥沼にのめり込んでいる−−−という事実ではなかっただろうか。

「忘れられた戦争」とも言われる朝鮮戦争だが、ハルバースタムはあらためて本書でこの戦争全体を、当時の世界情勢、そして朝鮮半島を巡るソ連、中国、そして米国の政治的思惑といったというマクロな観点から、そして米政府、議会、マッカーサー指揮下の東京司令部における人間ドラマとして、更には個々の戦場において何の為に闘っているのかという意味を理解できないままに死闘を繰り広げた兵士たちのミクロな視点から、と実に多角的な観点から立体的に描いきだしている。

朝鮮戦争の傷跡はあの戦争から60年たった今も、極東地区における実に複雑な政治情勢に残っているし、長く続いた冷戦下における東西対立、さらには現在のロシア、中国対世界の微妙な政治関係に影をおとしている。

シルバースタムは本書によって戦後の世界情勢を俯瞰的に評論仕切ったとさえいえるかもしれない。

本書では、朝鮮戦争を戦争指導層、米国議会、金日成政権、そして中国共産党の立場から活き活きと描きだしているが、もっとも素晴らしいのはむしろこの戦争を、兵士たちという虫の視点から描いた部分だ。

指導者達の個人的な虚栄、単なる首脳同士の愛憎によってゆがめられた戦略や、戦術のいい加減さによって、悲惨な戦闘の場で無駄死にしていった兵士たちの哀れさを描いた部分などを読んでいると、今現在、イラクやアフガンの地で無駄死にしていっているであろう米国の若者達の怒りが感じられるようだ。

こういった中立的立場にある一流のジャーナリストによる健全な政治批判、政府批判があるからこそ、あれだけ多くの過ちを犯し続けながらも、未だにアメリカが世界一の大国として君臨できているのではないかと思えてくる。本書を読んでいると只でさえ定見のない政府と、ご都合主義でころころその主張を変え続けるマスコミしかもたない日本の行く末が益々心配になってくる。

戦争勃発当初からのマッカーサーの判断ミスがこの戦争を悲惨なものにし又、彼の中国軍は参戦しないだろうという勝手な思い込みが国連軍壊滅目前というまでの大敗北を喫したこと、更には膠着状態に陥った戦況を打開するために中国本土への爆撃や核攻撃をトルーマン政権の意向を無視して進めようとしていたマッカーサーをギリギリのタイミングで解任したトルーマンの決断に至る場面の描写などは既に半世紀前の事とは知りながらも息を飲む迫力だ。

シルバースタムは偏執狂的な独善者マッカーサーの歴史的評価の失墜を狙って本書を描いたと思われるが、もちろん金日成、毛沢東、スターリンあるいは蒋介石といった英雄達もマッカーサー同様にどうしようもない愚物として描かれている。それこそがこの愚かな戦争に対するシルバースタムの最終評価なのではないだろうか。

戦争というものはすべからく、戦争指導層（すなわちベスト&ブライテスト）の実に愚かな判断の積み重ねによって起こり又拡大し、その指導層の過ちが常に何も知らない多くの兵士や一般市民に多大な犠牲を強いることになるということを著者は言いたかったのだと思う。

おろかで無責任な軍部や政治の犠牲になって多くの人命を失った先の大戦を経験している日本人にとってもシルバースタムの主張は分かり易いのではないだろうか。

中国への核攻撃の命令を出す直前であったマッカーサーが解任された時、広島、長崎への核攻撃で多くの同胞を失った日本国民は、核攻撃が中止されたことを喜ぶどころか、マッカーサーの解任を悲しみ帰国するマッカーサーを25万人もの人々が涙を流して送り、感謝の意を表したのだという。

本書のこういった記述を読むと、今も変わらない日本人の節操の無さ、愚かさに慄然とせざるを得なくなる。

本書の最終稿のチェックを済ませた一週間後、シルバースタムは交通事故で亡くなった。彼のような巨星を失ったことがアメリカのジャーナリズムにとってどれほど大きな損失であるかということをあらためて思った。