母をお願い　　　　　　申京淑　　　　　　　集英社　　　　

かつて映画全盛時代、「母もの」といわれるジャンルの映画があった。

夫を戦争で失い、子供たちを女手一つで育てなければならなくなった母親が主人公だが、母と子は婚家の姑や小姑から酷い仕打ちを受け、貧しい中で必死に生きるという感動物語だ。

そんな必死の愛情によってどうにか成長した子供たちだが、独立し結婚していくと、今度は、かつての母親の恩を当たり前のことであったかのように忘れてしまい、娘や息子の伴侶たちも母をないがしろにして―――唯一、母思いの孝行息子は無実の罪に囚われて―――といったバリエーションまであって、なにしろこれでもか、これでもかといった形で生母のように慈悲深い母が過酷な運命に翻弄される物語だ。

そんな「母もの」を見た観客は、自分の母に対する姿勢を大いに反省し−−−そんな境遇にも夫や子度たちに献身的な愛を注ぎ続ける母のような人間に自分もなろうと決意する―――といったまさにお涙頂戴物だった。

本書を読んでいて、そんな「母もの」を思い出した。この物語に流れるベースはまさにかつての「母もの」の持つ「母の崇高なまでに深い献身的な愛」であり、「お涙頂戴」ともいえる感動母性愛物語である。

夫とともに子供を訪ねてソウルに上京してきた母は、地下鉄の駅で夫とはぐれ突然姿を消してしまった。さまざまな体調の不良を抱えていた母だが、それを本人も隠し、周りの人間は気付こうともしていなかったという事実が次々と明らかになっていく。

年老いた母を捜し続ける長男や長女、次女、夫、しかし母の行方は杳として知れない。母の行方を追う内に彼らは、いままで当たり前だと思って感謝すら忘れていた、母から彼等に注がれてきた愛情がいかに深いものであり、その愛情を注ぐために母がどれほどの自己犠牲を払ってきたのかをあらためて知ることになるのだ。

おそらくこの小説を読んだ多くの読者たちは、自らの母親を思い出し、その犠牲的なほど深い愛を自分がいかにないがしろにしてきたかをふっと思うのではないだろうか。

韓国ではベストセラーとなったというこの小説は母性愛に対する人々の普遍的な憧憬ゆえに人々の賛同を得たのだと思う。それは恐らく日本にも、そして世界各国でも通じるものではないだろうか。

（11年9月発行）