仏教、本当の教え　 　　植木雅俊　　　　　中公新書　　

釈尊の教えが時代を経るに従って、そしてサンスクリット語、パーリ語、あるいは漢語に次々と翻訳される中で、それぞれの地域における伝統的な文化との宥和が図られる中で変遷していったであろう事は容易に想像できるが、それでは本当のところ釈尊は何と言っていたのかとなると今や我々日本人にとっては全くと言ってよいほどわからなくなっている。いわば伝言ゲームによって最初のセンテンスが全く違ったセンテンスになってしまったようなものと考えることができるかもしれない。

著者は釈尊が元々説いた教えはどのようなものであり、それらの教えがどのような過程を経て今あるような誤記、誤解、読み違えられた仏教の教えになってしまったかを追求しつづけてきた。

この研究にとって必須だったのは、著者自身がサンスクリット語（梵語）、パーリ語はもとより英仏独そして漢語に精通するということであった。何とも気の遠くなるような努力が必要だったろうと推測されるが、本書では、著者のその語学力と博覧強記ぶりによって、釈尊のオリジナル思想と、それがどのように変化をしてしまったかが明かされる。

釈尊の教えの源流、最初に一滴に至る過程はなんとも感動的ですらある。著者の論は、仏教研究という範疇に留まらず東洋文化史、あるいは思想史にも通じるものであり実にスリリングである。

先ず梵語が漢訳された時点で大きな間違いが起き、その後それが日本に伝わる中で更に換骨奪胎されていったのは、翻訳者たちの間違いもあるだろうが、中国や日本の伝統的な考え方に釈尊の教えを整合させようとすれば、そうならざるを得なかったということはあり得るだろう。

古来インドでは北には理想の国があると考えられ釈尊をはじめ皆、北枕で寝る習慣であったものが、日本では全く逆に「北枕は縁起が悪い」と考えられるようになってしまったという一例をあげるまでもなく、又、釈尊は一切の差別を否定し男女平等を説いていたにも係わらず、仏教が中国に伝わった際に、そこに土着の儒教信仰によって全く逆の男尊女卑の教えに変わってしまった経緯なども実に興味深い。

仏教と一括りで言われるが、釈尊のオリジナルな考え方からみれば、いまや日本の仏教は、釈尊の説いた教えとは、全く違ったものになっているが、そこに至る経緯に興味は尽きない。