消えた天才騎手　　　　　島田明宏　　　　　　白夜書房　　　　

07年に牝馬ウオッカが日本ダービーを制覇した。クラシックレースの最高峰といってよい日本ダービーに挑戦する牝馬でさえ極めて珍しいというのに、このレースを並みいる牡馬を蹴散らして勝手しまうというのだからウオッカはとんでもない図抜けた能力を持ったメス馬ということになる。

しかし、このウオッカ以上に凄い牝馬がいた。それはウオッカのダービー制覇の63年前、同じく牝馬ながらダービーを制したクリフジである。

このクリフジでダービーを制覇したのはクリフジの全レース（11戦11勝）に騎乗した前田長吉である。しかも前田長吉がダービーを制覇したのは彼が20歳の時であり、この最年少ダービー制覇記録は今も破られてはいない。

又、クリフジはオークス、現在の菊花賞に相当するレースにおいても長吉とのコンビで快勝、変則三冠を達成しているが、この記録はオークスとダービーが一週違いで開催されるようになった現在、再び達成されることはないといってよい大記録だ。又、長吉の生涯成績もわずか2年間の騎手生活で勝率3割4分というこれまた不滅の物である。

前田長吉は短い騎手生活の後、第二次大戦に召集されシベリアの地で23年の生涯を遂げたが、彼の遺骨はDNA鑑定によって判明し62年振りに祖国の地を踏んでいる。この遺骨帰還をきっかけにした著者による天才騎手前田長吉の軌跡を負う旅を描いたのが本書である。

なにしろ、今や前田長吉を知る人もほとんどなくなり、記録も十分とは言えない中での著者の旅は手探りの部分も多くならざるを得ず、本文中にも「だろう」「〜とおもわれる」といった類推が多くなるのは致し方ないが、何しろ著者のクリフジという女傑、そして前田長吉という悲運の天才に対する愛情と憧憬が、こういった類推すら全くの事実であるように感じさせる。

一競馬ファンとしてクリフジ、前田長吉の名前は知ってはいたが、こんなにもロマンに溢れた物語があったとは知らなかっただけに、本当に楽しめる一冊だった。

(11年4月発行)