無私の日本人　　　　　磯田道史　　　　　　　　文芸春秋　　　　　

ベストセラーとなった著者の「武士の家計簿」は、埋もれた古文書を渉猟し、江戸時代の武士階級の知られざる家計の真実を明らかにしたもので映画化もされるなど大評判になったものだが、本書も同じく著者の得意とする埋もれた古文書などから発掘した「忘れられた日本人」3人の評伝だ。古文書研究という分野はある意味では「宝の山」であり、この宝の山から原石を見つけ出し、自分なりに原石を研磨してその製品を世に出す、というビジネスモデルは、司馬遼太郎をはじめ多くの作家がやっていることだが、フィクション色をなるべく排除し、歴史ドキュメントとして世に出すという著者のビジネスモデルは、コロンブスの卵かもしれないが中々面白いと思う。

本書で取り上げられているのは、江戸時代末期に生きた3人である。その3人を「無私」という共通項で著者は取り上げている。著者によれば、この3人は、自らその事績を後世に残すことを嫌った「無私の人たち」であったといささか強引に括っているが、この3人の生き方はそれぞれユニークであり「共通点がある」という著者の解釈には頷けない部分もないではないが、いずれにせよ、よくも埋もれた人たちを探し出してきて、このような1冊に纏めたものだと著者の着眼のよさには感心させられる。

3人とは仙台藩吉岡宿の困窮を救うために藩に金を貸して利子を得る事業を実現させた穀田屋十三郎（をはじめとする吉岡宿の有志たち）、その生涯を、儒学の研究に費やし、自らが掴んだ儒学の核心を庶民に教え慕われながら死を前にして、自らの事績を竈にくべて消し去ろうとした中根東里、幕末の歌人として又蓮月焼の創始者として又、恵まれない人々に救いの手を広げ少年時代の富岡鉄斎を育てた才女、太田垣蓮月だ。世の中を大きく動かした人たちではなかったが、たしかに「こんな清貧な生き方をした日本人がいた」という事実を知るだけで、日本人としてなんだか誇らしい気持ちになれる。

現代にも、欲望渦巻く世をこの3人のように無欲、無私、そして清廉、清冽に生きている人がいるだろうか。「自分にはとてもできない生き方だ」と思うと同時に、大いに羨ましくも感じる3人だ。読者にとっては清涼剤となることは請け合いの1冊である。