ケインズかハイエクか　    　ニコラス・ワプショット　　    　新潮社　　　　

ノーベル賞には発足当時経済学賞はなく、1969年にノーベル賞の名前を借りてスゥエーデン国立銀行賞としてはじまったもので「正式なノーベル賞ではない」とまで言われる賞だ。

歴代の経済学賞受賞者の受賞理由とされたそれぞれの｢経済理論｣は、受賞当初からあるいは事後に「間違いである」ことが実証されていることはよく知られている。「本当のノーベル賞ではない」ということと、いずれの受賞者もその「業績は間違いであることが分かった」というのだから「ノーベル経済学賞はもうやめたら？」という声が聞こえるのもいたし方ないかもしれない。

ノーベル賞でもそんな話が出るように、どうも「そもそも、経済学理論には正しい理論などというものを求めること自身、ないものねだりではないか」ともいわれており、経済学を専攻した者の一人としては「今頃になってそんなことを言われても−−−」と、なんだか残念でならないのだが―――。

ところが、こんな経済学不信論ともいわれる説がある一方で、世間一般の経済学に対する「信頼」あるいは「期待」といわれるものはある意味では妄信に近いものがある。「経済の事は経済学者に聞け！」というのは、この百年以上、経済学者が間違い続けてきているにも係わらず未だに言われ続けているのだ。

最近も、アベノミクスといわれる物に対する期待感から実態経済をともなわない株高人気がでれば世間は益々アベノミクスに対する期待だけを高める―――競馬の予想なんて、予想屋がやっても素人がやってもどうせ「当たらない」のは同じなのに、人々はどうしてもいざ馬券を買う段になると、予想屋の意見に左右されてしまうのと同じだ。

経済ジャーナリストである著者が書いた、経済学のこの約80年余りの間に戦われた経済論争、ケインズ理論か、ハイエク等が提唱した新古典派理論か、という論争と、その理論がもたらした実際の結果がどうであったかという歴史は、経済というカオスの営みを、あたかも物理法則に則っているかのように解明できると考えた経済学者、そしてそのいずれかの理論を妄信してしまった政治家や一般大衆の失敗の歴史を振り返ったものだ―――といったら経済学にとって酷だろうか。

ケインズ理論が信奉された大恐慌後から戦後にかけてハイエク理論は打ち捨て去れていたが、ケインズ理論が引き起こした60年代後半からの超インフレ、財政破綻以降、ケインズ理論の数々の失敗による凋落とともに墓場から再登場しこれこそ究極の経済理論として信奉されたのが、新古典派理論とその亜流である。しかし、この「最終理論」も、サッチャー、レーガン等による新古典派主義による奇跡的といえる経済復活を呼んだものも、その賞味期限は、過度の競争の弊害、格差の拡大といった弊害によって世界的なパニックを招き又、沈んでいかざるを得なかった。

ケインズもダメ、ハイエクもダメとなった今、そこには新しい理論が出てくるかと思ったが、なんのことはない一度は埋もれたはずのケインズ理論が復活の兆しだ。この30年近く隠遁を余儀なくされていたケインズ派が、再び墓場から蘇りつつある。

それが、アベノミクスのように無制限な公共投資と、大量の貨幣供給による一時の「ニセの繁栄（インフレ）」政策である。一度、失敗した経済政策が何故、再び上手くいくと人々は信じるのだろうか。「そういえば、昔、あの予想屋の予想で儲かったことがあった。もう一度、頼ってみるか！」というのと余り変わりはないような気がしないではない。（ゼロ金利政策による金融緩和を続け、公共投資のばら撒きをやったものの経済情勢は一向に回復しなかった90年代の失敗を、安倍内閣も学者も皆忘れて、今又、「大幅金融緩和、国土強靭化のためのばら撒き公共投資!」を叫んでいる―――。）

サムエルソンやガルブレイスなどのケインズ流「近代経済学」全盛時代に経済を学び、その理論の惨憺たる結果を見て、新古典派全盛時代とその凋落を経験してきた我が身にとって、こういった「さまよえる経済学」が、実はアダム・スミス以来、なんと250年以上くり返されていること、「これはといった経済理論などない」という事実を、あらためて本書でつつけられて、人類はいつの時代も常に愚かであるということを考えずにはいられない気がして、しょんぼりしてしまった。