名人芸の黄金時代　　　　　山本益博　　　　中公文庫　　　

山本益博といえば料理評論家というか「美味いもの店めぐり」のエッセーでしかあまりなじみがなかったが、その山本益博が早稲田に在学中の今から40年前に、本書のような落語評論の優れた一冊を著わしていたことを知り、随分と彼を見る目が変わった。

今から40年前、本書が著わされた時期には、まだ八代目桂文楽や古今亭志ん生、あるいは八代目林家正蔵（のちの彦六）といった今や伝説の名人といわれる落語家は存命であったが、いずれ彼等が亡くなれば、彼等とともに明治期から伝えられてきた落語の「名人芸」が失われるのではないかという予感が漂う時代でもあった。

実際、文楽の芸の魅力を高く評価していた当時の著者が、本書を書き上げた直後に文楽は亡くなっており、志ん生も既に高座には上がらなくなっていた。そんな時に書かれた本書だけに、あの時代の「落語」という（今は失われてしまったといってもよい）話芸に対する著者のオマージュといってもよい作品だ。

これらの名人達の芸の系譜、あるいは落語に対する姿勢、その芸の特長といった点を実に鋭敏な感覚で捉えた本書は、若き日の山本がいかに優れた演芸評論家であったかを教えてくれる。（文楽が亡くなったこともあって本書以降、著者は演芸評論からは身を引いてしまった）

山本とほぼ同世代であり、文楽や志ん生など本書で取り上げられている名人の芸をリアルタイムで見た者としては、本書の内容に大いに共感し、当時を懐かしむ気持ちが湧き起こるが、彼等を生で聞いていない世代にとっては、本書はどう取られるのだろうか−−−とは思う。(今や、名人に祭り上げられている故談志にしても、文楽、志ん生を知る身にとっては、とても名人といえるレベルではない）

やはり、落語という話芸の真髄は、名人達と共に永遠に失われてしまったのかもしれないと思う。

(13年1月発行)