一路(上下)　　　　　　浅田次郎　　　　 　中央公論新社　　

多少の出来不出来のばらつきはあるものの、エンターテイメント小説作家としてのこの人の作品レベルはやはり相変わらず高い。時には泣かせ、あるいは笑わせ、あるいは感動させる、一種の「芸」ともいえる手腕を真似できる作家は少ない。

守備範囲も中国清朝末期を舞台にした歴史ロマン物があるかと思えば、幕末物、SF物、ヤクザ物から抱腹絶倒のドタバタ物等々、よく次から次にこれだけのストーリーを作りだせるものだと感心させられる。

本作の舞台は、尊皇攘夷で世情が騒然としている幕末である。代々、殿様の参勤交代の御供頭という大役を務める家に生まれた19歳の主人公、小野寺一路は、突然の父の死によって、父から何も教わっていないのに、この大役を果たさなければならなくなる。

彼が唯一、参考にできるのは二百数十年前に書かれた家伝の『元和幸酉蒔坂左左京太夫様行軍録』である。この家伝は、参勤交代がまだ「一朝ことがあるときに軍兵を率いて馳せ参ずるための戦」という意味を持っていた時代に書かれたもので、二百数十年の間に参勤交代の作法や心構えのほとんどは簡略化され忘れ去られた結果、この家伝は今や、古色蒼然とした参勤交代行列マニュアルであり、とても役に立つとはおもえなかったのだが−−−。

しかし、一路はこの古色蒼然たる参勤交代を復活させ江戸までの行列を成功させようとする―――。

青年武士の成長物語プラス道中で起きる様々な困難をいかに乗り越えていくか、というロードムービー的要素も加わり、「うつけ」というもっぱらの噂の殿様（実はうつけを装ってはいるが、かなり優秀な人物らしい）、謀反を企んでいる家中の重臣を中心とした悪役一派と、一路に協力しようという一部の家来たちとの攻防、といった豊富なエピソードをちりばめた上下二巻は、いつものこの作家の作品同様に息もつかせず読ませる。（作品によっては、ちょっと長すぎる！と思うものもあるけれど、本作はそんなことはない）

芝居がかった見せ場、名セリフがちりばめられているのも、いつものこの人の作品と同じだ。「ちょっと、作り過ぎだろう！」とも思えなくもない部分もあるが、エンターテイメント小説として読者を喜ばせる、という点においては、この作家のファンならば寧ろ大喜び！といったものばかりだ。

作品の中で殿様を始め（殿様のお手馬にいたるまで）登場人物たちが、よく「自分の分限」と「一所懸命」という言葉を持ち出すが、現代人が忘れがちな江戸時代の人達の、道徳観は、作家がこの作品でもっとも訴えたかったことなのかなぁ〜と思った。