蜜のあわれ 室生犀星 小学館
室生犀星が亡くなってから半世紀以上が経つだけに、彼を知る人はかなり少なくなっている。
同世代の佐藤春夫、谷崎、芥川などと並んで、戦前、戦後の文壇を代表する作家であり、又、小説家としてよりも、むしろ詩人、としてその名が残っているように、感受性の強い作品、耽美主義的な作品が多い作家である。
全編が、会話文で成立し、しかもその会話が犀星自身と思われる老作家と、自分を「あたい」と称する老作家が飼っている金魚、あるいは、老作家と「あたい」の化身である異界の女性との間で交わされるというなんともシュールな構成だ。
「あたい」は老作家に「をじさま」と呼びかける。「あたい」に翻弄される「をじさま」の様子は、谷崎の「痴人の愛」の中でナオミに翻弄される主人公を思い出させるが、本作のシュールさが、「痴人の愛」以上に純粋に、耽美主義を際立たせているのは、本書が、要所々々に、なかやまあきこ撮影による金魚・花・少女の写真頁を排しており、犀星のシュールな世界とうまくコラボレートさせていることにもよる。
コケティッシュな雰囲気を漂わせる「あたい」の甘えや、文句に、それを可愛いと感じ、時にはマゾ的な快感に浸っているようにも見える、老作家。
そこには、犀星自身が当時感じていたであろう「老人の性」のジレンマ、焦燥感のようなものが感じられる。
その意味では、今から50年も前に、こんな斬新なテーマの作品を書いていた犀星や、谷崎などがいたという当時の日本の文壇の豊饒さが羨ましく思えたし、それにくらべて今の日本の文芸界の不毛さが、嘆かわしくもある。
（07年6月発行）