言わなければよかったのに日記 深沢七郎 中公文庫
辛口の文芸評論で知られた正宗白鳥が「戦後の最高傑作」と称えた「楢山節考」の作者、深沢七郎が楢山節考発表後2年で刊行されたエッセー集である。
「楢山節考」のような大傑作を書いた作家は、一体どんな人物なのだろうと、当時から世間の注目を集めた深沢七郎だが、作品の余りにも規格外の凄さ同様に、この人も実に規格外の人物であった。天才と何とやらは紙一重、というが、その言葉通りの人物で、今でいうならあるていどアスペルガー症候群的なところがあったのかもしれない。
前半部分は、「尊敬している文壇の諸先生」との交遊録というか交際禄だが、登場する人物が凄い。正宗白鳥、伊藤整、井伏鱒二、武田泰淳、石原慎太郎だが、冒頭、「ボクは文壇事情を知らないから時々失敗してしまうのだ」というように、これらの大家と、山下清風のアスペルガーっぽい深沢七郎との会話は、なんとも独特のすれ違い的ユーモアに溢れており、大家たちがいかに深沢七郎の才能と人柄を愛していたかが、手に取るように分かる
続くテーマは、深沢の幼き日々を中心にした思い出がつづられているが、特に彼の実母に対する愛情あふれる記述には、あの楢山節考のおりんとその息子辰平の情愛のこもった関係を思い出させるに十分だ。
最後の部分は、深沢七郎という異才らしさを彷彿とさせるごくごく短い短編集だ。日劇の踊りの合間の寸劇にでも使えそうな軽妙なコント風の作品であり、茫洋とした感じの自由人でありつづけた深沢の人柄を思い出させる物ばかりだ。
尚、今年は深沢七郎の生誕100年にあたるそうだ（87年没）。
（87年10月発行）