和泉式部私抄 保田與重郎 新学社
大東亜戦争を正当化した等との理由で戦後、公職追放などによって不遇の時を過ごすことになった保田與重郎だが、日本浪漫派を代表する文芸評論家として活躍した日本古典文学評論の泰斗だ。
本書は、彼が王朝の美と悲哀を一身に体現しつつ歌に託した女流詩人として最も高く評価する和泉式部の「和泉式部日記」を中心に置き評論を加えた、情熱あふれかつ重厚な和泉式部、そして彼女を中心とする王朝文学への賛辞である。日本古典文学の神髄とはいかなるものかを教えてくれる日本人必携の一冊といってもよいものだ。
わずか200頁ほどの文庫本ながら、保田が本書の稿を起こしたのが昭和11年、その第一稿を世に問うたのはそれから6年後の昭和16年、その後も、たゆまず加筆訂正を加え、最終的な刊行をみたのはなんと昭和44年になってからという大力作である。
和泉式部といえば、紫式部がその日記に「歌は抜群にうまいけれど、どうも素行がよろしくない！」と書いているのが有名なように「恋多き女」であった。
しかし、世間がなんといおうと自らの恋に誠心誠意のめり込んだ女性という意味では（もちろんいつの時代にもいるけれど）話題多き女性の元祖のような人である。
和泉式部の歌としてもっとも知られているのは百人一首の56番「あらざらむ この世のほかの 思い出に いまひとたびの 逢うこともがな」ではないかと思うが、いまから1000年も前の女性の恋情の人生そのものをかけた覚悟が伝わってくるような「凄い！」歌だという思いは、本書を何十年ぶりに再読してまざまざとよみがえってきた。
勅撰和歌集に乗っている歌だけでも240首余り（紫式部は60首、清少納言18首、赤染衛門でも105首）ということを考えれば、和泉式部の和歌が当時からいかに優れていたのか、そして人々もその才能を認めていたかが分かる。保田の情熱ほとばしる賛辞も当然かなぁと思えるものだ。
伝説的に言われるのはこの恋多く、恋の為には不倫の道にも踏み込み自分の恋を貫いたといわれる和泉式部の晩年はあまり恵まれたものではなかった。
零落し、娘にも先立たれた和泉式部がその死の床で、性空上人への結縁歌として詠んだ「くらきより くらき道にぞ入りぬべき、はるかに照らせ 山の端の月」｟闇にまぎれて生きてきたが、更に、どうにもならない闇の道へまぎれこんでしまいそうだ、どうか山の端の月よ（観音様よ）、はるかかなたの道まで照らして下さい）は、この激情に正直に生きた女性の自らが歩んだ人生の悔いない思いが込められているように思う。
本書に掲げられた和泉式部の歌に一つとして駄作がなく、実に一級品の歌ばかりという感想をもったが、保田與重郎が惚れ込んだ意味がよくわかる。
（99年7月発行）