慈悲深き神の食卓 八木久美子 東京外国語大学出版
エジプトのアレキサンドリアに2年間赴任していたことがあるが、日本とは全くことなる文化、習慣をもつ人達の中で暮らせたことは今思えば、じつに貴重な体験だったし自分の世界観・人生観にも大きな影響をあたえてくれた経験だったと思う。
そんなこともあって、それなりにイスラムについては一般の日本人よりは知っているつもりだが、本書の著者もいう通り、日本人のイスラムに関する知識は驚くほど少ないといってよいし、逆に、イスラムと時には敵対する宗教であるキリスト教やユダヤ教国の人達がもつイスラムに対する敵意や偏見に影響されて（というか毒されて）、「良く知らない宗教」であるイスラムを、極端に誤解をしてしまっている人が多い（というかそれが一般的）という現状ははなはだ残念だと思う。
例えば、イスラムを名乗る一部の人達のテロなどもあって、あるいは欧州におしよせるシリア難民問題もあって「イスラム教徒は皆、訳の分からない狂信者であり、寛容精神のない野蛮で暴力的な連中だ」とか、相撲の大砂嵐が断食期間中は水も飲まない、ときけば、「そもそも、イスラムの断食なんて、なんと野蛮で無意味な風習なのだろう〜」といった類の誤解をしている日本人は多いと思う。本書は、そんな、誤解をとく一助になるのではないかとも思う。
著者は、58年生まれ。外語大の学生の時にエジプトを訪れてから、幾度ものエジプト生活を経験し、そんな中からイスラム研究を続けてきたのだが、本書ではイスラムの人々の「食」の面から、彼等の宗教観や、物の考え方、生活習慣といったものが、いかに平和的なものであり、我々が西洋文化によってミスリードされた彼等に対する偏見の是正を迫るものだ。
わずか2年とは言え、エジプトで生活した経験のある自分にとっては、「大いに同意！」の一冊であった。
冒頭に、著者が最初にカイロを旅した時に、道端で、パン（エイシュという）にネギだけという実に粗末な食事をしている男性2人の食事風景を見るともなく見ていたら二人に手招きされ「いっしょに食べないか」と誘われたという経験が描かれている。
二人の男性は著者が空腹で二人の食事をうらやましげに見とれているとおもったのだろう、コーランの教えである「二人前の食べものは三人に十分である」を実践し著者に自分達の食事を分けてあげようと思ったのだ。
これと同じような経験をした日本人の話をきいたことがある。日本人からみると物乞いとしか思えないような子供たちが寄ってきて「バクシーシー（喜捨）、バクシーシー」と叫ぶのが煩くて、冗談で、こちらも「バクシーシー」と言って手を出したところ、子供たちは金持だとばかりおもったのにそれは間違いで「この日本人、自分より貧しいのか！」とあわてて家に戻りいくばくかの金を呉れたというのだ。
バクシーシーは決して物乞いではなくそれを与えるのも受け取るのも、神の教えに則った正しい宗教的な行為なのだ。
本書の後半部分では、断食期間の夜間に行われる「イフタール」といわれる夜の食事の楽しさが書かれているが、まさに、この通りで、断食期間の約1カ月は、普段の月に比べて一般家庭の食費は格段に高くなるのだ。昼の間、水も飲まずに耐えたことを夜になったらお互いに「よくがんばったなぁ〜」と称え合って、大いに飲み、かつ大いに食べるのだ。それは、まるで日本では正月には皆が着飾って、楽しくごちそうを食べ、かつ飲んだ風習と同じようなものなのだ。
実は「断食月」は、ある意味、楽しみの月間なのだ―――とは日本の多くの人達は知らないことである。
その他、エジプトの食にまつわる様々なトピックを懐かしく読んだ。
ハトの腹にコメや豆などの色々な詰め物をした「ハマーム」という少々グロテスクなエジプト風ハト釜飯があったが、いつかもう一度、食べてみたい、と思った。
(15年6月発行)