慟哭の谷 木村盛武 文春文庫
今から丁度100年前の大正4年12月、北海道の開拓地苫前村を「穴持たず」といわれる冬眠し損ねて凶暴化した巨大ヒグマが襲い、最初にある一家に押し入り、その家の主婦と預かり子を惨殺するという事件が起きた。
村人たちは恐怖に震えながらも、ヒグマ退治に乗り出すが、このヒグマは村人たちの反撃をかわし、更に次々と村人たちを襲い、軍隊までが出動する騒ぎになったが、結局撃ちとられるまでの10日余りの間に死者８名・重傷者２名という記録に残るヒグマによる食害事件を起こした。
この三毛別事件といわれる惨劇を事件から50年後に生存者などを訪ねて集めた証言などに基づいてノンフィクションとして描いた作者だが、本書は前半第一部で、その昭和37年のノンフィクションを再録、第二部として著者自身のヒグマとの遭遇体験、あるいは福岡大学ワンゲル部のヒグマによる食害事件、さらにはヒグマについての十分な知識をもっていたはずの山岳動物写真家・星野道夫氏が亡くなったヒグマ襲撃事件などの記録を基にしたヒグマ食害に関する調査・解説ノンフィクション作品となっている。
人間が行う残虐行為も数々あるが、獣が生きんがために他の動物を襲う残虐さのそれとでは比べものにならないものがある。
作家吉村昭の代表作の一つでもある「羆嵐」は、作者によるノンフィクションを土台にして書かれたが、確かに吉村の作品がもっていた「底知れぬ恐怖感」は、こういった人知を超えた自然の残虐さ、凶暴さ、からくるものだということを、そのタネ本ともいえる本書を読んで改めて思った。
熊の食害にあって亡くなった村人の葬儀の席に、自分の獲物である遺体を取り戻そうとこの凶暴な熊が襲いかかり又新たな被害者が出てしまう場面とか、熊の撃退に万策尽きた村人が、食害被害にあった村人の遺体をおとりとしてつかい熊をおびき寄せる場面とか、これらの被害が今から100年前に実際に起こったというノンフィクションの背景を知りながら読むと、どんなホラーやスリラーもかなわないだけの、迫真性のある恐怖感に襲われる。
（15年4月発行）