人間・始皇帝 鶴間和幸 岩波新書
中国を統一し、その死後2200年の今に至る迄の中国という国の在り様を形作ったとさえいえる秦の始皇帝の業績を詳しく描いたのは、司馬遷の「史記」がその最初だが、例えばこの「史記」にある始皇帝陵の場所は、一体どこなのか―――確か1970年頃までは中国古代史最大の謎ともいわれていたように記憶する。
1970年代、この陵の一部である兵馬俑の発見などが相次いだおかげで、今や始皇帝陵の場所や規模は特定され、さらには近年古井戸から発見された始皇帝時代の大量の竹簡などの解読などによって始皇帝研究は半世紀前とは様変わりの様相だ。
もっとも司馬遷が「史記」を著したのは始皇帝の死後、80年以上経ってからのことであり、新たに発見された資料などによる始皇帝の行跡などとの間には、いくつもの違いがあることも分かってきている。
本書は、日本における始皇帝研究の第一人者である著者による最新の人間・始皇帝像であり、この余りにもスケールの大きな英雄が、超人としてではなく、我々と同じような生身の人間であったことが、本書では生き生きと描かれていて親しみすら感じる。
本書によれば始皇帝の姓名は史記にある「趙政」ではなく「趙正」であったという。13歳で秦王に即位し以後、いくつかの乱を平定、宮廷における権謀術策の中でもそれを果敢な決断で乗り切り、遂にはスーパーマン的な親政を行う。更には、荊軻による暗殺未遂事件などを乗り越え、遂には天下一統を成し遂げる。
確かに、本書に描かれる始皇帝は、人間臭い面を持ちながらもやはり、超人ともいえる底知れぬ強い指導力に恵まれた傑出した人物でもあったようだ。
その生涯の治世の間に実に５回にわたる巡行を行っているが、軍事ではなく祭事を通して統一事業を浸透させようというのが巡行の真意であった---と述べられている点なども大いに納得がいく。
しかしその一方、万里の長城を築き直道を整備、運河を建設するなどの国防にも腐心した。実に多面性をもったカリスマだったということのようだ。
後半、始皇帝の死後、彼が後継者に指名したと「史記」に述べられている胡亥については、実は胡亥が始皇帝の遺言を改竄した―――といった全く新しい解釈が述べられており、この辺りも、2200年前の歴史劇をみているようでわくわくさせるものがある。
（15年9月発行）