待つ 山本周五郎 小学館
日本の大衆小説といえば、その代表的な物として「時代小説」といわれるジャンルがある。
その中を更に細分化すると吉川英二の「宮本武蔵」に代表される「剣豪物」、池波正太郎の「鬼平犯科帳」などの「捕物帳」、山田風太郎の「忍者武芸帳」などの「伝奇物」、長谷川伸や子母澤寛などの「股旅物」があるけれど、もっとも人気のある時代小説といえばやはり、都市に住む平民などの下層の人々や、名もなき武士やその家族を主人公として、江戸時代に生きた人々の人情を描いた「市井物」といわれる分野だろう。
その市井物作家の代表といえば、やはり本書の著者、山本周五郎ではないだろうか。（少し遅れて出た藤沢周平の方が今は、少し時代が古い山本周五郎よりも人気があるのかもしれないが）
山本周五郎は1903年生まれ、1967年（昭和42年）には亡くなっているから確かに藤沢周平よりその活躍時期が30年以上早いだけにいわゆる現代の「大衆小説」ファンというよりは、周五郎を読んでいた世代は一世代古い世代といえるかもしれない。
中学生、高校生の頃、それこそ太宰治などの文学物に傾倒してはいたものの、「小説を楽しむ」という意味での読書としては、山本周五郎が一番好きだったし随分と読んだものだった。
周五郎の小説としては、「樅の木は残った」（のような長編、あるいは「青べか物語」のような日記、随筆がその代表作に挙げられることが多いが、自分が一番好きだったのは彼の中短編、特に上にあげた「市井の人々を主人公に、庶民の人情を描いた」典型的な市井物の中短編だ。
本書は山本周五郎生誕100年を期して編まれた「山本周五郎中短編秀作選集」の第一巻だが、まさに一番好きな山本周五郎作品の選集といってよく久々に周五郎を楽しめた。
この第一巻の全体のテーマは「待つ」である。
『内蔵允留守』『柘榴』『山茶花帖』『柳橋物語』『つばくろ（燕）』『追いついた夢』『ぼろと釵』『女は同じ物語』『裏の木戸はあいている』『こんち午の日』『ひとでなし』という11篇が収められているが、いずれも「恋しい人を」「幸福の到来を」そして「ただ時の経過を」待つ名もなき人々の切ない思いが主題となっていて、心にジンとくる物語ばかりで、まさに大衆小説の王道的作品ばかりといってよく、今から50年近く前に、夢中で周五郎を読んでいた頃を思い出す。
周五郎の市井物には基本的には悪人は出て来ない。一見悪人に見えそうな人物も、貧しさや、星回りの悪さのために「ダメになってしまった」人物という描かれ方が多く、大半の人々は逆境や、貧しさの中でも誠実に生きる人々ばかりであり、そういった逆境にある人達がお互い助け合っていく―――という、まあ、ちょっとテレるような設定も多いけれど、そういった人間性善説にたったストーリー作りは、やはり読んでいて清々しいし、コロリと周五郎ファンになってしまうだけの魅力にあふれている。
「柳橋物語」「柘榴」「山茶花帖」などは、随分昔に読んだことを思いだしたが、あらためて全てを読んでみても、新しく読んだような気になるのは、やはり周五郎の小説がこれからも長く読み継がれる魅力に溢れていることの証左ではないだろうか。
（06年4月発行）