無思想という思想 養老孟司 ちくま新書
大ベストセラーとなった「バカの壁」の主張に多くの人がうなずいたのは、あたかも神が与えた言葉であるかのように、皆がなんの疑いも持たずに（感じずに）信じてしまっているいわゆる「常識」について、著者が「ちょっと待てよ、それっておかしくはないですか？」という疑問符を投げかけ、その疑問符に皆が「確かにそういわれてみればそうだ」と納得したからだったと思う。（例えば世の中、善か悪かの二元論で割り切れる事柄ばかりではないのではないかといった）
著者の社会批評的著作のほとんどが、この「バカの壁」流の論法に基づく、まあ、見方によっては「世の中をちょっと斜めから見る」皮肉屋的な論調が、なんとなく小気味よいところがあるからだという気がする。
本書の内容も（少しテーマがあちこちに分散気味のところはあるけれど）、基本的には他の著作と同様に「ちょっと待てよ、それっておかしくはないですか？」という主張であり、今回とりあげられているのは「よく日本人は無宗教・無思想・無哲学だといわれているがそうではないのではないか、むしろ、無宗教・無思想・無哲学だという確固とした思想なのではないか」という趣旨であり、「バカの壁」同様に、「なるほど、そういわれてみればそうかもしれない」と思えてくるのだから、中々の論者である。
著者の主張は、日本人の無思想に対してラジカルな批判だけのようにも受け取れるが、じつは、日本の融通無碍さ（しなやかさ）という特質を鋭く指摘しているという意味では前向きな日本文化論ととることもできる。
宗教やイデオロギーで対立を深めている文化圏や国々が世界には溢れている現実をおもえば、「無思想という思想」で完全武装して、そういった対立をやり過ごしてしまう日本人の「したたかさ」が、ズルいようだが、実に賢明なのではないかとも思えてくる。
（05年12月発行）