漂流 角幡唯介 新潮社
「アグルーカの行方」「空白の五マイル」などの作家である著者は、同じく著書「探検家36歳の憂鬱」の中で、自らの「冒険」「探検」のモチペーションを語っているが、意外であったのは（迷ってはいるもの）ノンフィクション作家として良い作品を書くことがモチベーションの根本にあると語っていた点だ。
冒険家、探検家は冒険や探検が目的であり、それを著書に著すことはあくまでも冒険や探検の派生的な産物だと思っていただけに―――。
ただ、探検家、冒険家としてのみならずいやそれ以上に著者が優秀でユニークなノンフィクション作家であり、又、そのノンフィクション作品がノンフィクションという狭いジャンルに止まらない何か新しい分野を切り拓きつつある文芸作品であるようにさえ思えたのが本書である。
いままで陸の冒険物を描くことが中心であった著者が興味を持ったのは今度は、海という舞台で起こる「漂流」というサバイバルであった。
今までにも、多くの漂流記が著され、あるいはフィクション、ノンフィクション作家が扱ってきてはいるが、名もなき海で生きる人々によるサバイバル記録、あるいは彼等がどういう世界で生きてきたのかを描いたものは皆無といってもよい。
まず、著者が目をつけたのは1994年冬、フィリピン人船員らと共に救命筏で37日間の漂流の後、「奇跡の生還」を遂げた沖縄のマグロ漁師・本村実である。
沈みゆく船から脱出して水もないゴム筏で37日間もの漂流、ということ自身が驚嘆に値すると、著者はこの木村実に取材すべく沖縄に行くのだが―――その過程で、木村は救出後8年間海を離れていたものの、8年後再び出港し最初の航海から二度と戻らなかったという事実をしることになった。
なぜ、九死に一生を得るような過酷な経験をしたにも拘わらず彼は、なぜ再び海に出たのか? ――――沖縄、グアム、フィリピンなどで関係者らの話を取材していく中で、著者は、漁師という極めて厳しい境遇の中で生きている人々と、彼等をとりまく社会の実態を知ることになるのだ。
生死の境をさまようような遭難から生還しても、又、再び冒険がしたくなり出かけるいわゆる探検家たちと、木村実は全く違う。 海を離れては生活が成り立たない、あるいは海の男としての自分のアイデンティティーには逆らえない、彼等漁師たちの生きざまというものが浮かび上がってくる。
数年にも亘って木村の足跡をたどり様々な地に飛び、口を開きたがらない人々から根気強くじっくりと話を聞き、漁師という生き方、その世界の変遷を浮かび上がらせていく手法は、実に見事だ。
角幡唯介の作品は多分、4冊目になりどれも外れがないけれど、敢えていえば本作が一番ではない
かと思う。
（16年8月発行）