天才 石原慎太郎 幻冬舎
豊洲市場の地下空間問題で開場が無期延期といってもよいような混乱が起きているが、東京都という巨大組織の中で行われた実に不可解な決定の最終責任者は、当時の都知事であった著者にあることは逃れようのない事実だ。
しかるに、小池知事からの当時の事実に関する問い合わせに対しても「自分は全く知らなかった」「覚えていない」「俺も被害者だ」と、潔さのかけらもない逃げの姿勢に徹している著者は、政治家時代の「硬派」なイメージ、行動派といった著者のイメージの正反対の卑怯未練、無責任さの権化といった正体を露わにしてしまった感が強く、小池都知事ではないが「晩節を汚している」という見本のような人物に成り下がってしまっている。（おかげで親の七光りで衆議院議員になった2人の息子も次期衆議院選挙では落選確実との噂が立つのも致し方あるまい）
この豊洲問題に輪をかけた感があるのが本書ではないだろうか。
政治家として田中批判の急先鋒として名をはせた著者が、政治家を引退して再び作家として稼ごうとしている、という事情もまあ、分からないではないが、よりによって、かつては、その金権体質を批判しつづけた田中角栄の「ヨイショ」役に回り稼ごうとしている姿勢自身に、一体この人はどうしてここまで狂ってしまったのか―――、かつてのあの正論ぶってやっていた言説は何だったのだろうか―――と驚くばかりだ。
本来の作家に戻って、それなりの価値のある作品を書いているというなら、それはそれで評価も可能だが、本書で書かれた一人称の「田中角栄伝」には、今までにかかれた「田中角栄」には全くなかったような事実は一つもないばかりか、既に山ほど刊行された「田中角栄伝」を丸パクリ、孫引き、して一冊に仕上げたに過ぎない実に安直な一冊だ。
反田中で売ってきた著者からは田中角栄が一体どう見えていたのか―――といった我々の興味をひきそうな視点も一切なく、この作品の中で語られているのは、生前の田中が言っていたいい訳にもならないような自己弁護を著者が彼の一人称をかりて代弁しているにすぎず、まさにかつての芥川賞作家である著者に対して言うとするなら「麒麟も老いては駑馬にも劣る」の典型ということではないだろうか。
田中角栄が日本の政治に及ぼした影響（大きな―――大きすぎるネガティブな面と、結果的ではあるが少しのプラス）について、あるいは彼の生い立ちや人となり（確かに人を引き付ける魅力は大きかったようだ）、あるいは金と女のスキャンダルを知りたければ、その要求を満たしてくれる本は巷間山ほどある以上、本書のような安直なヨイショ本を読む必要は全くないと言ってよいだろう。
（16年1月発行）