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ヒトラーと物理学者たち フィリップ・ボール 岩波書店
人工知能、再生医療や遺伝子操作、ナノマシン等々の現代における最先端科学が500万年と言われる我々人類の今日に至る進化（変化）の中で形作られてきたヒトとしての身体的、精神的な枠組みや、社会組織や倫理感といったものの土台を根本的に変えてしまう可能性が大きく浮上してきている。
その変化がいわゆる「進化」というものになるのか、あるいは結果的には「破壊」というものになるのかは、今のところ何とも言えない状況であるが、それらの最先端科学に携わる人々、いわゆる科学者たち一人一人にその研究の成果がもたらすであろう未来についての責任を問うことは、余りに過酷であろうし、彼等もそれを問われても困惑するばかりであろう。
一方、そういった最先端科学研究に必要とされる費用は、今や天文学的な数字になっており、個人や一研究機関が賄えるようなものではないことも明らかだけに、結局は国家、すなわち時の政治にたいしてそれ等の費用負担を依存するしかなく、そうなれば、時の政権に対する迎合が必要になるし、政府も金を出す以上は、それらの研究成果に何か目に見えるようなメリットを要求するだろう。
科学者の探求心は常に「善」であるという夢想的な理想論と、科学は、例えば共産主義や、全体主義（そして民主主義でさえも）という、後に「悪」とみなされる政治体制に対して迎合的でなければその目的を達しえないという矛盾をどう解決すべきなのかという問題は、科学というものが始まって以来、常に付きまとっている問題だ。（ガリレオやブルーノの時の教会との関係もまさにこの問題と同じだ）
すなわち科学側もその研究がもたらす結果が引き起こすであろう未来像を予知しえないのに、時の政治や倫理感といったものと妥協しなければならないという盲目者同士の猛進のようなことが現代でもおきている可能性は高いのではないだろうか。
本書は、反ユダヤ主義、国家主義をかかげたナチスドイツ政権下における三人のノーベル物理学賞受賞者（プランク、ハイゼンベルグ、P・デバイ）のドイツ科学界の中心人物たちが、戦前、戦中、戦後を通じてどのようにその科学探究の欲求と、政治的な妥協との調和をはかったかを描いた労作であり、ほとんどが二次資料に基づいてはいるものの、彼等三人の葛藤の様子と、戦後における極めて人間的な自己正当化といった姿をしることができて実に内容の濃い一冊である。
本書の後半結語部分で、著者はこの三人にナチス体制下でどう動くべきであったといった後知恵的な結論を出す訳ではなく、この三人が辿ったような、極めて困難な状況が、現代科学でもより強く表れてきているのだ―――という指摘は実に重いと思うのは、現代の巨費が必要な研究が常に「一体、何の役に立つのか？」といった蓮舫流の政治に対して答えなければならないという状況を思い出すからだ。
（16年9月発行）