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イブン・バットゥータと境域への旅 家嶋彦一 名大出版会
14世紀はじめイブン・バットゥータが生地であるモロッコを出発30年に亘って当時のイスラム世界からインド洋海域、そしてモンゴル帝国に到るユーラシア大陸を旅してその行程を全8巻の「三大陸周遊記」として著した当初、故郷の人々は余りにもスケールの大きなこの周遊記を荒唐無稽のほら話としか見なかったと言われる。
確かに、例えば、インド・デリーでは法官として雇い入れられ8年間を過ごした―――とか当時の人々にとってはまるで現代の我々が「火星旅行記」でも読むような、全く未知の中央アジアの王朝や人々の暮らしに関する記述が、「ホラ話」に聞こえてしまったのも無理はない。
「三大陸周遊記」が注目を浴びるようになったのは、18世紀から19世紀にかけてヨーロッパの学者たちがこの周遊記を再発掘して以来のことだというが、確かに未だに中国に関する記述などにはイブン・バットゥータが実際に赴いた訳ではなく、伝聞資料などに基づいて「多少盛った」ところもあるのでは―――等という話もあるようだ―――。
しかし、いずれにせよ、この旅行記はマルコ・ポーロの「東方見聞録」同様に、今から7－800年前のアジア情勢、民族、文化を伝えるものとしての資料価値は実に貴重だ。
このイブン・バットゥータの「三大陸周遊記」の日本語版完訳などの実績をもちイブン・バットゥータ研究の第一人者でもある著者は、自身でこの周遊記の行程を辿る旅を行うなどその研究姿勢はまさに研究者の鑑ともいえるものがあるが、本書はそんな著者の研究成果を詳細に述べたものであり、三大陸周遊記といういわばガリバー旅行記にも似た冒険に溢れる物語を期待して手に取った読者にとっては、「学問的過ぎる」という不満がないではないかもしれないが、14世紀の中東、アジア情勢という全く知らなかった世界が手に取るように分かる―――資料としての重みが十分感じられる書である。
勿論、イブン・バットゥータの旅の本来の目的は、聖地メッカへの巡礼であったことで分かるように、この周遊記自身は信仰心の厚い彼のイスラムの正統に対する信心であることもあって、今も論争の続く「イスラムの正統」に関する当時の彼の考え方と、今も続くイスラムに於ける宗派による解釈の違いなどが分かる点も、面白い。
（17年2月発行）