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アルプス紀行 ジョン・チンダル 岩波文庫
岩波文庫に収録されている本書の奥付を見ると初版発行が1940年（昭和15年）となっていることだけでも驚きだったが、解説を見るとチンダルが本書を著して初出したのが1871年（明治4年）だというのだからぶっ魂消てしまった。
何と、漱石なんぞよりもずっと古い古典中の古典といってよい山岳登攀記というわけだが、その内容は、現代あまたある登攀記あるいは山岳随筆のまさにお手本、ひな形というべき物であり、このような美しい山岳記が、物理学における「チンダル現象」の発見者でもある著名な物理学者によって書かれたものだということにほとほと感心させられた。
山岳という自然がいわゆる登山家と言われる人達によって人々に紹介される以前は、このチンダルや、ヨセミテの自然を愛し「自然保護の父」といわれた植物学者のジョン・ミューアのようないわゆる文化人の余暇的な楽しみの一つとして、人々に知られるようになったという事実に、改めて「登山とは」「自然を慈しむとは」というものの原点を考えさせられた。
スイスアルプスへのアプローチに使われている「車」というのが、実は馬車であることとか、スケッチに描かれた、ピッケルのような登山用具のクラシックさ加減にも、現代における大衆化した登山、登攀との違いが余りにも大きいが故に、頁を括るごとに驚かされるばかりだし、チンダルの美しい文章に、今から150年近く前のヨーロッパアルプス登山に対する憧憬はいやますばかりだし、頻繁に描かれるガイド達ですら躊躇するような局面におけるチンダルが発揮した蛮勇とも言われかねないような勇気ある決断が、インテリ物理学者によって下されているという事実にも驚かされ、感心するばかりだった。
（40年6月発行）