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北朝鮮人民の生活 伊藤亜人 弘文堂
14世紀はじめイブン・バットゥータが生地であるモロッコを出発、北アフリカ、中東諸国、インド洋海域、そしてモンゴル帝国に到るユーラシア大陸を旅して、その行程を全8巻の「三大陸周遊記」として著したが、当時、それらの国々は遠く、現代人にとっての「火星探検記」のようなところもあり、多くの人はこのバットゥータの旅行記を「荒唐無稽のほら話」としか見ない向きも多かったという。
いま、世界の人びとにとってもっとも遠く、知りえない国といったら、北朝鮮でありさらにはそこに生きる人々がどのような暮らしをし、また、一方的な宣伝として伝えられるあの独裁政治の実態をどう思っているのか―――などは、どんなルポを読んでも中々素直に信じる気になれないというのも事実だ。
本書はそんな北朝鮮の庶民の暮らしぶり、考えていることなどを、細く開いた窓ともいえる脱北者たちがもたらす情報、具体的には脱北者に自らの「北」での経験を綴らせた手記450編をもとにしたフィールドノートに書かれた情報をもとに構成されており、イブン・バットゥータの旅行記に当時の人びとが感じたのと同様の「本当か？」と思うような意外性に富み過ぎてはいるものの、「なるほど、これだからこそ、北朝鮮の人びとはあんなむちゃくちゃな独裁体制の下でも、絶望的にはならないでいられるのか！」と妙に納得できるところが多い。
どれだけ国際的な締め付けがあってもそれでも2千数百万の人びとがどうにか生きているという事実の裏には、その表向きの経済体制の裏側に、その何倍もの規模の「庶民の知恵」による非公式経済があることとか、対外宣伝窓口としてきらびやかに整備された平城以外の地方では厳しい状況があるのは事実だが、その分、体制による締め付けはゆるく、人々は「生活の知恵」をはたらかせて生きているという事実などにはまさに社会主義体制の持つ「上に政策あれば、下に対策あり」という庶民のしたたかさを感じる。
緊張しずめの平城に住むよりも、締め付けのゆるい地方の方が精神的には余程楽だ、という話にも「なるほど」と思わせるところがある。
テロが怖くて、常に持ち運び可能な専用トイレ（お丸？）を持ち歩いている――などといわれる金正恩氏もちょっと考え直した方が精神的には随分楽になれるだろうに。
（17年5月発行）