杏子・妻隠 吉井由吉 新潮文庫
71年に吉井由吉が「杏子」で芥川賞を受賞した時に、この作品になぜか文芸春秋で読んだ時にも、感銘を受けた記憶があるが、その当時でさえ、この小説に斬新さよりも、いささか懐かしく古いタイプの「日本文学」らしい香りの感じを受けたが、その「ふる臭さ」が、意外と自分の好みにピッタリであったことで以後、彼の作品は結構読んだものだった。
今回、ひょっと思いついて本棚から取り出して読んでみたが、この作品のもっている雰囲気は相変わらず自分にとってピッタリくるし好ましく思えたが、受賞から50年近くが経っているだけに、より古さ（決して悪い意味ではなく）を感じ、もし現代にこの作品が発表されたとしたら芥川賞はおぼつかなかったような気がしなくもなかった。
神経を病む女子大生と主人公の、山中での出会いに始まるこの小説は、物語というよりは、孤独な個々の人間の心象風景を描いたある種、シュールな幻想小説的なものである。
「杏子」の芥川賞が検討されていた時に、同時に受賞候補作として上がっていたという「妻隠」も、都会に住まう70年代にいたであろう若い夫婦の日常の周辺にひろがる心象的風景を描いてなんとなく「懐かしさ」を感じる。
作者は、ドイツ文学者というバックグラウンドを持つユニークな作家であるが、確か、競馬が趣味ということもあってかつて中央競馬会の雑誌「優駿」にエッセイを連載していたこともあった。
同じ競馬好きとして親しみをもったのも、彼の作品が好きになった理由の一つだったことを何故か思い出した。
（79年12月発行）