憂鬱な10か月 イアン・マキューアン 新潮社
日本では「悪漢小説」とも訳されるピカレスク小説は、中々人気がある。
主人公の悪漢が罪を犯すのだが、その罪というのが刑事コロンボに追及される犯人がおかす犯罪のように、それなりに犯人の側にもその罪を犯す事情のようなものがあり、その事情というのが単に犯人の側の欲望に基づくものとはいえ、何となく見ている側も「そんなこともあるかもしれない」と同情してしまいそうな理由である場合が多い。
従って、ピカレスク小説の場合も、展開に従って思わず犯人の側に肩入れしてしまいがちで、ストーリーの展開にハラハラドキドキ、頁を捲るのがもどかしくなってしまう場合が結構ある。
この小説の主人公は、まもなく生れ出ようという9か月の胎児という設定だから、犯罪の当事者という訳ではないが、罪を犯そうとしているのがその胎児がへその緒でつながっている胎児の母親とその不倫相手の胎児の叔父というのだから、勿論胎児は無実である―――しかし、ある意味無理やり共犯の立場に追い込まれそうな人物（まだ人物とはいえないが）であるという、一ひねりも二ひねりもされたピカレスク小説―――という訳だ。
胎児の母は、胎児の実の父親を、その大きな屋敷からなんだかんだと理由をつけて追い出して占有し、夜な夜なセックスのためにやってくる父の弟と組んで、胎児の父を毒殺し屋敷と財産を我が物にしようと企んでいる―――。
二人は犯罪成功の暁には生まれてきた子供を里子に出して―――という相談までしているのを胎児は母の子宮の中、身動きもできない状態で聞いてしまった。
すわ、一大事、犯罪が成功すれば里子に出され、失敗して母が牢獄につながれれば、胎児は生まれながらにして刑務所で育つことになる―――しかし、胎児がこの犯罪を阻止する手段は－－－皆無に近い―――さあ、どうする、どうなる。
見事なピカレスク小説仕立てに乗って頁を捲る手が止まらなくなる―――。
全体のストーリーはシェイクスピアの「ハムレット」のパロディー調になっており、随所にちりばめられる古典やら詩句やらの文言は、主人公である胎児の売れない詩人達の出版をやっている父親の遺伝子と、母が夜な夜な聞いている深夜ラジオから得た知識ということになっているが―――それが、ピカレスク小説につきものの反面教師的な教訓やら、皮肉にもなっているところも面白かった。
（18年5月発行）