歌に私は泣くだろう 永田和弘 新潮社
「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」は、歌人の河野裕子が死去する前日に詠んだ絶唱である。
本書は、河野裕子の夫であり同じく歌人である著者が、河野が癌に侵されてからの10年を綴った一冊だ。
突如発見された妻の癌、その癌を怖れ悩む妻をオロオロと見守る夫の姿が両者の歌を交えながら赤裸々に描かれている。
綺麗ごとばかりではない癌闘病による精神的プレッシャーから、何故か夫を恨み、憎み始める妻、そんな妻を前に怖れおののく夫の姿など、病人ならば陥り易い関係などを包み隠さず振り返っているところがリアルだ。
ただ、そんな暗い部分でさえ美しく思えるのは、この作品の中にちりばめられている妻と夫の相聞歌ともいえる歌のリアルな美しさである。
本書のタイトルにもなっているのは夫である永田和弘がいよいよ死を前にして、尚歌を詠み続ける妻のことを詠った「歌は遺り歌に私は泣くだろういつか来る日のいつかを怖る」からきているのだが、がんの末期の痛みの中でもモルヒネを打ったら痛みは取れても頭が朦朧として歌が読めなくなるからと、それを断り続けたというこの歌人夫婦の歌に対する情熱が恐ろしいまでに感じられる歌だと思う。
（12年7月発行）