西行花伝 辻邦生 新潮社
新古今和歌集の歌人である西行といえばさくらの花の歌がよく知られているが、新古今よりわずか200年程前の万葉集では、花の歌といえば、梅の花をうたったものが圧倒的に多いのは、新元号「令和」の由来としてもよく知られているが、わずか200年でこれだけ大きな変化があったというのは、よく考えてみると不思議な話だ。
余程大きな社会の変化があったことが想像されるが、まず思い当たるのは万葉集の時代にはなく、新古今の時代には大きく台頭した武士階級が与えた社会的変化だ。
宮廷人から防人までが、歌を詠んでいたといういわゆる文科系の社会から、武士という武が台頭することによって、以前のように優雅に歌を詠っていられる時代ではなくなっていたのではないかと想像される。
その意味では、西行という歌人は、武士の出自でありながらその時代の最先端を行く人ではなく、時代に乗り遅れてしまった人なのではないか―――というイメージを持ってしまう。
だからこそ、彼は家族を捨て出家し、自分自身を見つめるという「文」の道に進まざるを得なかったのではないかと思う。
花鳥風月という自然の美の中に自らの儚き生を写し、遂げられぬ自らの恋を詠う―――現代人にも通じるこの西行の美意識、そして個人としての生きて行くことに感じる物狂おしさ―――辻邦生の西行に対する圧倒的な共感に読んでいてもいささか息苦しさを感じるが、西行という800年余り前の歌人の息遣いさえ聞こえそうな作品である。
（95年4月発行）