タコの心身問題 ピーター・G・スミス みすず書房
昔、熱帯魚を飼っていたことがある。
毎朝、ジョギングに出る時に、エサをやってから出かけていたのだが、その内に自分が水槽の近くに立つだけで熱帯魚が寄って来るようになった。同じ時間にエサがもらえることが条件反射になっているのだろうと思ったが、その時間に娘や妻が水槽に近づいても全く反応がない―――これは自分と熱帯魚の間に心が通じ始めたのではないか―――等と考えたもので、熱帯魚の内の一匹でも死ぬと、何だか犬や猫などのペットロスと同じような気持ちになり落ち込んだりしたものだった。
あれは、やっぱり「心」のある人間である自分が勝手に、熱帯魚にも心があるのではないか？と錯覚しただけなのだと思うのだが、真相のほどは当然不明だ。
哲学者でありスキューバダイビングの愛好者である著者は、海中に潜むタコと度々遭遇し、タコと見つめ合うなかからタコにも心があるのではないかと考えるにいたったようだ。
高等哺乳類であり脳を異様に発達させた人類が持つ「心」とはそもそも何なのかという哲学的な疑問を、生物学的にも考えてみようという著者の、哲学者らしい試みは実に面白いし、まさに学際を跨いだアプローチだと思うが、既存の科学の枠組みからはいささか外れてもいるわけで、本書の内容をどう捉えるべきか、悩ましいところではあるが―――。
人間の発達した脳が作りだしたであろう「心」というものが、人類が通った進化の過程以外では発生することがないとは言い切れないのではないか―――頭足類だって心を進化の過程で得ることができるアプローチがあったのではないか―――という発想は実に面白いと思う。
タコにも人間に近い「心」があると仮定すると、確かに符号するところも多いが矛盾することも多く、それらについても色々と思考を巡らせているところが我々一般の読者には面白いところだ。
そんな一つが、人間にとってももの凄くエネルギーを必要とする脳を、わずか2年程の寿命しかないタコが持っているのは、何故なのか―――という疑問に触れているところだ。
複雑な神経系（脳）は、経験や学習の蓄積が行われるほど、その価値が高まるのに、たった2年の寿命しかないタコが、エネルギー多消費の臓器である脳を発達させている意味が理解できない―――というのだが―――。
その他、各章で触れられた問題のそれぞれが、哲学というか生物学というか、心理学というか―――そういった範疇に拘泥しない純粋な好奇心に基づいているように思われておおいに楽しめた一冊であった。
（18年11月発行）