日本近世の起源　　　　　渡辺京二　　　　　洋泉社　　　　　　　　

著者の「黒船前夜」における実に濃密で重厚な歴史逍遥ぶりに舌を巻いたものだが、またまたうならされた。

渡辺京二の作品は、中世から近世にかけての日本の歴史再評価を主眼においたものであるが、自らを「歴史の素人」として様々な歴史資料、研究論文などを徹底的に読み込むことによって自らの歴史観を再構成するという手法をとっている。

見方によっては渡辺のこういう歴史へのアプローチ手法は、他者の論文や著作などからの引用、孫引き、批判だけではないかとも見えるが実は渡辺のしつこすぎるとさえ言えるほどの膨大な資料の読込姿勢は、そういった「歴史資料のいいとこ取り」とは全く逆の、「独自の歴史観（渡辺史観ともいえるようなもの）の確立」に至っているのは、通り一遍の資料逍遥ではなく如何に多くの資料を深く読み込んでいるかの証左だと思う。

渡辺史観そのものが様々な批判にさらされているという事実はあるものの、マルクス史観、戦後左翼史観といった他人の史観を根底に歴史をそれらの史観に基づいて換骨奪胎してしまう網野等の史観に比べれば数段上のものだと思う。

そんな渡辺史観に触れるという意味ではこの作品はもっとも手頃な一冊かもしれない。

本書で描かれている渡辺史観のテーマは幾つかあるが(中でも一向一揆の実相を捉える中で親鸞の他力本願の意味合いを著者なりの視点から解析した部分は実に興味深く面白い)、メインは、網野善彦等に代表される戦後左翼による戦国史観、江戸近世史観に対する激しい批判である。

戦後左翼史観は大分、修正されつつあるというものの、未だに彼等が唱えたマルクス的な史観に、日本の歴史をむりやり当てはめようとした結果生み出された「中世は自由が溢れた時代」「近世はその中世の自由が封殺された暗黒の時代」という教条的な時代解釈に著者は真っ向から反論する。

本書は、中世の百姓が武装したのは生きていくために必要だったからであり、それをどう解釈したところで「解放や自由を求めての農民階級による闘争」などという網野流の歴史解釈は成り立ち得ないという。

戦国の世とは、何かあるとすぐに武力沙汰に結びつく血腥い時代であり、こういう過酷な時代を経たからこそ、必然的に秀吉による「刀狩り」のような権力による暴力抑止時代があり、そしてそれに続く「徳川の平和（パックス・トクガワーナ）」の江戸時代がはじまったのだという。

網野史観とは180度違う渡辺史観が展開されているが、先にも述べた通り豊富な資料の読込と、碩学な著者による歴史再構築は、なんとも力強くぐいぐいと引き込まれる。

新書一冊にこれだけ内容の濃い歴史俯瞰が述べられているとは実に驚きだ。

日本の中世、近世の歴史を見る一つの視座として本書は是非読んでおくべきだろう。