アラビア哲学　　　　井筒俊彦　　　　　　慶応大学出版会　　

昭和50年に発行された著者によるイスラーム研究の名著「イスラーム思想史」は、昭和16年の「アラビア思想史」と昭和23年の本書「アラビア哲学」とを統合、改編したものである。すなわち、本書の前半に納められている「アラビア哲学」は「イスラーム思想史」の原典の一部ということができる。

9.11以来のテロなどと結びつけてイスラームは、単純な狂信的宗教だと考えられがちだが、一連の著者のイスラーム研究は、イスラームこそが歴史上もっとも理論的な神学、哲学的思索との葛藤を経た体系的思索宗教であるといえるかもしれないという事を教えてくれているように思う。

本書の前半部分の多くは「イスラーム思想史」の記述と重複するが、砂漠という過酷な自然の中で生まれ、実証的であることを求められていたイスラームが、その起教からわずか100年で世界規模の宗教となる過程においてギリシャ哲学的思考方法を取り入れることによって哲学的宗教となっていったか、又、そのような超論理思考に対する反発（反動、ゆりもどし）から、再びある意味では盲目的といえる原理主義的傾向を持つにいたったかといったまさにイスラーム思想史の変遷が実に雄弁に語られている。

又、本書に於いても、最終的にはイスラーム神秘主義に対する関心を深めていった著者個人の思索の変遷の片鱗がうかがえて面白い。

「アラビア哲学」の論考は本書の約半分強を占めるに過ぎない小論といってもよいものだが、後半に井筒が昭和17年に、東印度（現、インドネシア）の統治の為に東亜研究所の依頼で行なった民生調査の一貫として提出した「東印度に於ける回教法制(概説)」が附録として採録されている。

｢一日4回の礼拝｣「妻を4人まで持てる」「姦通は石打刑」「同害刑（目には目を）」など、断片的に知っているイスラーム法（シャーリア）の全体を、分かり易く解説したものであり、これを読むと我々がイスラーム法体系にもっている「野蛮だ」「論理的ではない」といった偏見がいかに皮相的な物であるかがよく分かる。

イスラーム法体系は、実は我々が持つ法体系よりもより人間的、合理的な法体系ではないかとさえ思えてくる。

この「東印度に於ける回教法制(概説)」部分だけでも、我々のイスラーム理解を深める為にも広く読んで欲しいと思う。