再び草の野に　　　　　田山花袋　　　　臨川書店　　　　

この小説を最初に読んだのは中学の時だった。大正八年に書かれた旧漢字だらけのこの小説を中学生でも読めたのかと我ながら、ちょっと誇らしい気もする。

家にあった「日本文学全集」のような蔵書の中の田山花袋の巻の作品として読んだのだと思うが、母が数十巻の中から「どれか一巻といえばこの巻」と言って推奨してくれた巻であり、しかも「中でも一番好きな作品」と言っていたのがこの「再び草の野に」だった。

今回、再読を思い立ったって探してみたのだが、やはり単行本としては見つからず、漸く「田山花袋全集第八巻」に同じく花袋の代表作の一つである「一兵卒の銃殺」等とともに収められているのを見つけものだ。

自分にとっての本格的な読書といえる初期の頃に読んだ作品だが、当時に覚えた感銘は50年が経った今回もいささかも変わらないものがあった。

花袋といえば「蒲団」や「田舎教師」などで今も名の残る作家ではあるが、やはり知名度は、漱石や鴎外に比べればいささか落ちるようにも思う。ただ、自分にとっては、「母が好きだった」という点を除いても、漱石、鴎外に並ぶあるいはそれ以上の作家である。

この作品は、田山花袋の他の全作品に流れる「自然主義の系譜」の代表作ともいえる作品でむしろ、「蒲団」や「田舎教師」以上に感情を排除し、「写生に徹した」作品でありそのことが読む者の感性をより刺激するやはり「名作」だと思う。

なにもない草原の中を流れる大きな川べりに鉄道の駅ができる。大河が流れ沼地が広がる何も無い草原だが、駅ができたことで人々が徐々に集まりはじめ、周辺ではさまざまな商売が始まり、中には近郷の町の商人や金持ちが愛人に店を一軒もたせていかがわしい飲食店を営ませるといった新開地までもができてきて、そこでは様々な男女の営み、人の生と死のドラマが展開されるのだが−−−川に鉄橋が掛かかり川の向こう岸の先の大きな町までこの鉄道が延伸されることになった三年後、この駅は廃止となり人々は皆去っていって、わずかの間、夢のようににぎわったこの地は再び元の草原へと帰っていく―――。

主人公がいる訳ではなく、この駅周辺に生きた人々、そして町の盛衰を、一台の定点カメラで捉えているかのように花袋は淡々と描写していく―――。

オムニバス風に人々が登場し去って行く、人々の欲望が重なり合い、愛憎が繰り広げられるが、全てが時とともに去り滅びていく―――この花袋の作り出した自然主義の手法はいまでもノーベル賞候補の某作家などがよく使っている作風だが、五十年前から花袋を知っていると、なんだか某作家も単なるパクリのような気さえしてしまう。

同じ巻に収録されている「一平卒の銃殺」「河ぞひの春」も素晴らしい。やはり田山花袋こそは、日本の大文豪ではないかと思う。