還るべき場所　　　　　笹本稜平　　　　　　文春文庫　

山野井泰史の｢垂直の記憶｣そして、その山野井泰史・妙子夫妻による未踏難壁ギャチュンカン北壁への挑戦を描いた沢木耕太郎のドキュメンタリー小説「凍」の迫力には圧倒されたし、井上靖の「氷壁」、あるいは新田次郎の数々の山岳小説(特に愛読したのは「孤高の人」)も小説とはいいながら、その迫力に息を呑むような緊張を味わいながら読み進めたものだ。

そんな、山岳小説好きにとっては最近は中々その渇望を満たしてくれるような作品に中々巡り合えず淋しい思いをしていたのだが、この笹本稜平の山岳小説は、フィクションでありながらまさにドキュメンタリーあるいはそれ以上の迫力で迫ってくるし、「氷壁」のようなストーリー性、そして「孤高の人」にあった登山を通じての人と社会、そして自然のあるべき姿を描き出す哲学性などが盛り込まれていて十分満足のいくものであった。

主人公稜平は、四年前、最愛の人である聖美とザイルを結んで世界第二位の高峰K2の未踏難壁、東壁に挑んでいた。二人は頂上直下で雪崩に合い、共に岩壁に宙づりになってしまった。

その絶体絶命の状況で、稜平は聖美を支えているロープの重みが消えたのを感じそのことによって宙吊り状態からのがれる。ロープを手繰り寄せるた稜平は、ロープが鋭く切断されていたのを発見する。稜平の命を救う為に、聖美が自らロープを切断したのだろうか――。

愛する者を失って全ての気力を失ってしまった翔平に、今は公募登山を行う旅行会社を興している、聖美の従兄で古くからの山仲間亮太から、亮太が企画したヒマラヤ、ブロードピークを目指す公募登山にアシスタントとして参加し、そのツアー終了後に2人でK2東壁に挑戦しようという誘いが入る―――。ここからストーリは縦横に展開していく。

この公募登山に参加するワンマンといわれる精密機器メーカーの会長と、マナスルで死んだ父の後を追うように登山にのめり込んだものの、K2で仲間4人の死に直面して以来山を怖れ遠ざかっていたその秘書の二人の人生の物語がからみ、更には、会長追い落としを狙う社長一派と会長の戦い、といった経済小説的要素までもストーリーに取り入れるなど盛りだくさんの展開だ。

特に最近のヒマラヤ登山事情、アルパインスタイルといわれる、少人数もしくは単独で一気に登頂を目指す登山法と、商業登山とも言われる公募登山などが採用している大量物資を持ち込み大部隊で徐々にアタックキャンプを押し上げていくと「極地法」といわれる登山方の違い、お互いのスタイルの反目といった登山界の現状などを、一体どこでこの作家は得たのだろうかと実に不思議な位にディテールが充実している。

ブロードピーク頂上付近での大量遭難とその救助に向かう稜平たちの活躍などの場面は「凍」のクライマックスの迫力以上のものを感じ、ページを捲るのがもどかしいほどの緊迫感がある。

最終章で聖美のロープ切断の本当の理由が明かされるというミステリー仕立てまであるのだから---。

この作家の物はいくつか読んでみようとおもった。