科学者の卵たちに贈る言葉　　　　笠井献一　　　　岩波書店　

副題が「江上不二夫が伝えたかったこと」とあるように、日本学術会議議長も務め82年に亡くなった生化学者、江上不二男博士が弟子たちに遺した「科学を研究する」心構え語録を主題に、今や勝ち負けだとか、経済性や効率といった尺度で図られる科学研究に対する警醒の書である。

本書の中でも触れられているが、DNAの二重らせんの発見でノーベル賞を受賞したジェームス・ワトソンの「二重らせん」などを読むと、その発見の過程では、ライバル研究者の研究成果を無断で借用する、時には仲間でさえ出し抜く、といったまさにルール無しの格闘技のような競争が行なわれており、そのことをワトソン自身、勝者として寧ろ誇らしげにも語っているように、現在でもノーベル賞受賞者が勝者、ノーベル賞受賞からはずれた研究者は敗者であるかのような扱いを受ける、といった「科学も競争」という考え方が当たり前のようになっている。

しかし、ノーベル賞以前の科学研究は、科学者が「面白いから」といった理由で始めたものであり、その研究成果が結果的に世界を変えるようなことがあったとしても（ニュートンやダーウィンのケースがまさにそうだが）、科学者自身は単純に知的好奇心から研究に没頭したに過ぎないという事実を知ると、果たして現代の科学者の「科学する心」「科学する動機」は、それでよいのだろうか？と思わないではない。

近年、科学研究、化学実験の規模が巨大化し、趣味の延長としての科学研究ではとても成果が得られなくなっている。そうなると、勢い研究者も「役にたつ研究」「世間の耳目を集める「派手な研究」を選ばざるを得なくなっているという事実も近年の「科学者の科学する心」に多大な影響を与えているということも忘れてはいけない。

「何の役にたつのかわからない、はっきりしない研究」が忘れられていく今の風潮は江上不二夫の言うあるべき科学研究とは随分違ってきているようにも思う。（参照：「役にたたない研究」6/19/09）

科学はどうあるべきか、科学者は科学にどういう姿勢で取組むべきか、あらためてきわめて重要な問題を投げかける一冊である。